三重勢陽組

明治18年に桑名郡柚井村(現桑名市袖井)に創業、20年頃には河曲郡岸岡(現鈴鹿市)にも分工場を設けるなどして盛んに煉瓦を製造した。竹内仙太郎による菅島灯台用煉瓦の製造に次いで古く、商業製品としては最初と言える。桑名の工場は明治22年3月に水谷工場(個人工場)となり、鈴鹿の分工場もM27の資料では単に煉瓦製造場となっている。

「三重勢陽組」印が添えられたカナ印は新橋駅発掘調査現場から見つかっており(但し構造体としてではなく遺棄穴の底から単体で)、また下掲載の刻印煉瓦は米原市旧中山道沿いの民家跡で採取したものである。このカナ印と同じくらいの大きさのカナ印刻印が、関西鉄道加太トンネル以東の構造物で見つかっている。大阪府下兵庫県下でもカナ印は見つかっているがここまで大型ではない。関西鉄道のこの区間は明治23年12月に開通しており、勢陽組もしくは後継の水谷工場が供給したものと想像される。

第三回内国勧業博覧会解説書(一橋大学レポジトリ所収)に水谷工場の来歴や製造法の解説あり。


農商務省『分析報文. 第2冊』掲載のワグネルによる煉瓦製造用粘土試験報告は勢陽組小林某の依頼によるもの。

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