播州煉瓦合同 三本線

印南郡域の3つの煉瓦工場が合併して昭和3年に成立。『帝国商工録』昭和8年度版には””を社章として掲げてあり、その刻印煉瓦が多数分布している一方、播州煉瓦合同から社名を改め現在もコンクリートプレキャスト製品を製造しているバンレン株式会社は放射状三本線のマークを播煉時代から用いている(三社合併で成立したことを示すマークと認識されている)。そんな三本線マークの刻印煉瓦も確かに存在している。

大阪市天下茶屋の民家壁には”K3”刻印煉瓦と共使いになった例があり、共々に印南郡から輸出されたものと考えられる。また加古川市岸の岸工場の近くでは「35 4」という数字とともに打刻された煉瓦が検出されており、これは昭和35年4月製を示すものであるようだ。

そうした煉瓦刻印が旧印南郡下で見られると同時に、若干系統が異なる大型の三本線刻印も見つかっている。愛媛県の三津浜煉瓦も三本線マークを社章として煉瓦に打刻していた時期がある。それが関西地方まで滲出している可能性が高い。

さらに言えば、大阪府下では明治20年頃に三本線を社章として掲げた会社が複数存在した(三栄組、堺煉化石)。そのようなわけで、三本線=播州煉瓦合同とは一概には言い切れないところがある。

ここに分類した三本線刻印は「京阪神地域で検出されていること」「三本線が互いに接するような配置であること」「幅3cmほどの小型の印であること」を採択基準とした。添印「ウ」のあるものは現時点では神戸市北区の1例のみで、疑問符をつけるべきかも知れない。


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