西播煉瓦

兵庫県印南郡で「煉瓦工場パンデミック」が発生した大正中期頃、少し離れた神崎郡香呂村香呂(現姫路市香寺町)にこの工場が誕生している(大正6年10月創業)。この工場は所在地近傍に建設された相坂隧道に煉瓦を供給した記録があり---大正10年竣工。扁額に刻まれた関係者一覧に同社取締役筆頭・伊賀徳三郎の名が(村会議員として)連ねられている---同隧道西口の笠石に”セ”刻印が確認されている。無論工場跡近傍でも検出例がある。

工場の隣に播但鉄道(現JR播但線)香呂駅があり、鉄道を利用して汎く煉瓦を輸出したらしく、京都府伏見区深草、神戸市東灘区岡本などで検出例がある。鉄道省編『国有鉄道貨物運輸概況. 大正15年中』p.250にはこの頃香呂から島根・鳥取・京都へ盛んに煉瓦が輸送されていたことが報じられている。

工場所在地の西方、香寺町香呂の在所の中にはいくつかの煉瓦壁がある。この壁には”K8”刻印煉瓦が集中的に使用されている。また在所内には小さな漢数字の刻印煉瓦の転石も多い。


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