”甲”・”乙”・”丙”・”丁”+漢数字 (湖東組製異形煉瓦)

滋賀県近江八幡市池田本町の在所内で”丙”・”丁”+漢数字の刻印煉瓦を多数検出。打刻された煉瓦はすべて肉厚の異形煉瓦(撥形・扇形)で、池田本町の南にある仁保川橋梁の近江八幡駅方の3スパンを築堤化した際に取り壊された橋脚の残余とみられる。この橋梁は9ft円形井筒を採用していた(M22.5.竣工)。

”丙”+漢数字は撥形異形煉瓦にのみ見られたが、”丁”+漢数字は撥形・扇形ともにあり、丙丁が異形煉瓦形状を示すものではないようである。また”丙”・”丁”ともに撥形異形煉瓦には狭い側の小口に”イ”印の打刻のあるものがある。この”イ”は後に制定される9ft円形井筒様異形煉瓦規格の”E”を示すものとみられる(中京地域では”シー”、”デー”、”イー”等とカナで形状指示した例が多い。例えば木曽川橋梁”シー”西尾市転石”デー”)。

12ft井筒も9ft井筒も最も多く使用されるのは撥形異形煉瓦で、従って池田本町で検出される異形煉瓦も圧倒的に撥形煉瓦が多い。その他にも撥形異形に”E”を打刻したもの、無刻印のもの、堺煉瓦印のある異形/普通煉瓦もみられる。なお”丁”は漢数字+”丁”の場合と”丁”+漢数字の場合あり。

中川煉瓦ホフマン窯の天井に使用されている”イ”刻印煉瓦がこの肉厚煉瓦であるとみられる。該ホフマン窯は明治45年/大正元年に建造されたもので((財)日本ナショナルトラスト『ホフマン窯と赤レンガ』p.18)、湖東組時代=湖東線建設時(~M22)、あるいは中川煉瓦時代=東海道線複線化時(~M34)に製造されたものの残余が一部に転用されているものとみられるが、後述前河原避溢橋の例からして前者である可能性が高い。また中川煉瓦が所在した旧岡本村の在所(現近江八幡市南津田町)でも”丁5”が打刻された撥形異形煉瓦を検出した。

現北陸本線米原-坂田間の前河原避溢橋(3@15ft、M22.3.竣工)では橋脚部壁体に”ビ”を打刻したものが多数使われており、12ft円形井筒用”B”に相当する異形煉瓦を転用しているものとみられる。打刻のある小口は幅約100mm、ない小口は110mm超あり、これは後年のB規格によく一致する(該規格はM29に制定されたものだが、中京地域の例から東海道線建設期にはすでに形状とその呼称ができあがっていて、それに則って製造されていたことがわかっている)。前河原避溢橋はC製橋脚と鋼版桁で複線化されており現状の煉瓦構造物は即ち開業時のオリジナル構造とわかる。故に”ビ”刻印煉瓦もこの頃に製造された=湖東組製であると言える。

篠原-能登川間の海三場川暗渠(1@8ft、M21.7.竣工)はアーチ下に煉瓦縁石の通路が設けられており、この縁石の平に”甲2””乙4”を検出する。いずれの刻印煉瓦も12ft円形井筒用B形相当の異形煉瓦である(該煉瓦ではないがここにも小口に”ビ”を打刻したものあり)。ちなみに海三場川暗渠には勢陽組印つきの”ウ”刻印煉瓦揖斐川橋梁井筒瓦礫に検出したのと同系統の釘印、そしてアーチ部には”○+シ”印もみられる。各地で製造された煉瓦の余りを寄せ集めて建造したことがわかり、当時の鉄道建設における資材管理や配分の苦労がここに集約されているようで面白い。

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