”○ハ”刻印

加古川市域を中心に複数検出。特に加古川大橋東詰の取り付き道路に面した民家跡で播煉三本線刻印・和田煉瓦刻印の煉瓦と共使いされていたのが確認されており、播煉・和田煉瓦と併存していた「ハ」のつく工場と推測される。播磨煉瓦、もしくは原田煉瓦のものか。なお該民家は現在の加古川大橋が完成した大正15年(1926)以降に建設されたものであるはずである(取り付き道路の築堤の高さに合わせて作られている)。


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