石黒煉瓦 三ツ輪刻印

富山県砺波郡石動町(現小矢部市)で長く煉瓦製造を行なってきた、北陸地方を代表する煉瓦工場。明治24年8月に石黒兵太郎、吉田平次、米田源太郎の3人によって煉瓦製造が始められ(『富山県統計書』明治26・27年版に「米田煉化工場」として掲載)、のち明治28年に石黒の個人経営工場となる。三ツ輪の社章もこの時から使用されるようになった(明治42年商標取得)。

創始の頃には品質が安定せず苦労したが、泉州堺や三河から煉瓦職人を招き、また京都の伏見で採用されていた「隧道窯」(登り窯の発展型)を導入して高品質な煉瓦を大量に生産できるようになったとされる。明治26年には高岡紡績工場の建設に150万個の煉瓦を供給。また明治29年の北陸線倶利伽羅トンネルにも煉瓦を供給した(このトンネルには社章入りの煉瓦が使用されているとの談)。

京阪神地域での流通は今のところ確認できない。最も近いところでは福井県敦賀市の市街地でJIS規格の機械成形煉瓦に打刻されたものが見つかっている。敦賀には石黒煉瓦の出張があり、また戦後に普及したJIS規格煉瓦ということで、戦後も長く製造を続けていた石黒煉瓦の製品と見てよいだろう。(愛知県碧海郡新川町の片山煉瓦も大正期には三ツ輪のマークを使用していたが、同社は大正後期に廃業したらしく、それ以降の資料には現れない)。

(以上、石黒建設S様より頂いた資料および談にて訂正 2022.2.12)


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