”アヤド”印

関ケ原町の旧中山道沿いの空き家、垂井町駅前市街地の中で検出。”アヤド”は現垂井町綾戸のことを示しているとみられ、ここで煉瓦を製造していた工場があったようである。明治9年にボイルが報告した省線中山道線の測量報告では垂井加納間に煉瓦製造に向く粘土が豊富に存在することが書かれてあり(『日本鉄道史 上編』p.237)、また明治40年には青墓村矢道に中央煉瓦製造所が興って比較的長期に亘り煉瓦を製造している。字矢道は字綾戸に隣接する字である。

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