
カナ印(旭商社カナ識別印)
関西地方で見られるカナ刻印はいくつかの系統がある。
- 1.識別印その1
- 旭商社の使用印(識別印)と推定されるもの。2cm四方ほどの大きさで、トメハネをしっかりと表現した楷書の見本のような書体。深山第一砲台掩体部天井、鳴門要塞鳥取火薬庫、堺市街などで検出。
- 2.識別印その2
- 旭商社以外の工場が使用した識別印。兵庫県姫路市見野・東山窯業所周辺では大型釘印によるカナ印を多く検出する(写真)。洲本アルチザンスクエア(洲本紡績工場出胎煉瓦)に見られるものは線描のような細身のカナ印。湖東線構造物小口に見られるカナ印は市古工場の使用印(リンク先に旭商社印との実寸比較あり)。
- 3.識別印その3
- 岸和田煉瓦や初代和泉煉瓦は社章印とともにカナの識別印を添えることがあった。その識別印のみが現れていることがある(姫路市立美術館・旧姫路陸軍兵器支廠西倉庫のカナ印もその系統か?)。岸和田煉瓦の添印カナ印は独特の癖がある(写真・洲本アルチザンスクエア)。
- 4.識別印その4
- 関西本線加太トンネル以東の煉瓦構造物に見られる、3~4cm四方の大型カナ印。三重県勢陽組やその後継の水谷工場が使用した識別印とみられる。例は勢陽組印を伴うものだが、添印のみ捺されたものも多く、その場合でも印の大きさによって判別できる。
- 5.社章印
- 西播煉瓦、播州煉瓦合同、和田煉瓦等播州地方の煉瓦工場では工場名の頭一文字を取ったカナ印を社章印として使用することが多かった。写真は西播煉瓦の”セ”。
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本カテゴリには1.の旭商社使用印を分類した(採刻印を下に示す)。2.は「カナ未分類」に、他は各社カテゴリに。
1.のカナ印を旭商社の使用印と推定しているのは深山第一砲台に漢数字印と共使いになっていることを根拠としている。この砲台の建設の頃(明治25年~30年)に漢数字からカナに変更したという推定である。漢数字印が旭商社のものであることは同社が煉瓦を納入した記録がある山仮屋隧道で検出したことに依るが、第一砲台の漢数字印は正確には山仮屋隧道のものと一致しない。ただ、漢数字印・カナ印が検出される建造物の建造時期と旭商社の存続期間が一致すること、旭商社が当時最大の煉瓦製造所であったこと(M34に大阪府下煉瓦製造業組合が設立された時も旭商社社長の喜多羅守三郎が筆頭発起人となった)を校了すると、規模と分布状況には矛盾がなく思われる。刻印判も想像される以上に摩耗しやすく1、2年で作り変えられていた節がある(例:市古工場丸英字識別印)。以上のことからここではカナ印=旭商社印という仮説を堅持する。今後の検出状況によって覆る可能性があることをご了承いただきたい。