市古工場

東海道線木曽川橋梁(初代)の残存井筒に検出。12ft円形井筒の異形煉瓦”C”に相当する位置に使われている。類似刻印が愛岐トンネル群でも見つかっている

「市古検印」と明示されているのは興味深い。煉瓦刻印を何のために押すかということは(『日本煉瓦史の研究』大野煉瓦の例以外)推測や曖昧な理解で済まされてきた。少なくともこの印は品質保証を意図して打刻したものだったことがわかる。

初代木曽川橋梁は明治24年の濃尾地震で被災し井筒基礎を残して再建された(明治25年1月竣工)。ただし井筒は水面下数尺を取り壊した上で積み直しがされており(『震災予防調査会報告書第一集)、水面上に露出している部分はその時の改築部=該煉瓦もその頃の製造と考えられる。いっぽうで北大浜村は明治16年11月に大浜村から新川以北が分離して成立し同25年8月に新川町と改名したので、該刻印を使用した工場もM16以降に成立したものと見られる。ただし明治29~33年に建設された愛岐トンネル群でも類似刻印が見つかっている(その刻印にも北大浜村と書かれていた形跡がある)ことから必ずしもそれが使用年代を絞り込む手立てとはならないようである。

市古工場は工場表で拾えていなかった工場だが、出典『愛知県統計書』は明治21年版まで「工場資金千円以上かつ職工10人以上」の掲載基準があり、以降20年台は「製造会社」の掲載となるので小規模な個人工場は拾えていない可能性が高い。「工場表」では木曽川橋梁改築時のM25から愛岐トンネル群竣工のM33までを仮に操業時期とした。

なお旧新川町域(碧南市松原町)にはいまも「市古築炉」が営業を続けている。市古工場の後継会社か。

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