”シー”×2+”□+子” on 肉厚扇形異形煉瓦@木曽川橋梁井筒

12ft円形井筒規格の”A”の位置に配置。”シー”が三重に打刻され、また添印”□+子”がある。同井筒に”市古検印”+”シー”が見られるので、やや長体の四角にカナを配した添印は市古工場のものであることがわかる。

湖東線塚町暗渠で採取した”市古製”刻印煉瓦には”○+英字”の添印があったが、木曽川橋梁井筒が濃尾地震後に改築されていることを考えると創業~M22頃まで”○+英字”→M24以降”□+カナ”と変遷したことがわかる。”□+カナ”印はM20.5.竣工の茶屋松暗渠、M20.12.の梶田避溢橋にも同系刻印が見られ、特に梶田避溢鏡では”□+子”が検出されるうえに”○+英字”印と共使いに使われているので、このことも市古工場の識別印であることの証左である。とすると木曽川橋梁橋脚の残存部はM20.6.竣工時のものであり、それより上が濃尾地震後に改築されたということになる。なお”○+英字”印はM20.8.竣工の山田下暗渠から見られるようになるので(ここでは”○+英字”のみが使用されている)、この間に刻印の切り替えが行われたものらしい。

http://bdb.kyudou.org/?p=11525

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