勢陽組カナ印

勢陽組の工場跡推定地や工場所在地では勢陽組印刻印煉瓦に伴って幅3cmほどの大型のカナ刻印も検出される。勢陽組印とともに押されていることもあるがカナのみの場合が圧倒的に多い(例えば関西本線第165号橋梁市場川橋梁諸戸家住宅水路吐口)。また工場跡推定地では円形井筒用の肉厚異形煉瓦に、”エー”・”ビー”・”シー”等の形状指示添印とともに押されているものを見ることができる。上記の使用例はいずれも勢陽組解散後に完成した建造物なので(明治22年12月に個人経営の水谷工場となる)、厳密には水谷工場使用印と呼ぶべきかも知れないが、解散後も勢陽組を名乗っていた形跡もあり---工場跡推定地では勢陽組印のみ押された肉厚異形煉瓦も検出している。また諸戸家住宅本宅の煉瓦蔵・煉瓦壁では両者が混在している---ひとまず表記のようにした。

勢陽組は官営鉄道に煉瓦を供給した記録があり、実際に東海道線木曽川避溢橋五條川橋梁で勢陽組印が見つかっている。これらでは形状指示印が見られず、工場跡で採取した勢陽組印のみの刻印煉瓦と同じものが使われているようだ。他にも第一浜名橋梁近傍十一川橋梁井筒で同工場製とみられる”シー”を検出した。これには逆に勢陽組印はない。工場痕近傍や諸戸家住宅で見られるものは時期的に官営鉄道ではなく関西鉄道に供給したものの残余と見られ(勢陽組後継の水谷工場の製品)、それとは異なる構成の刻印煉瓦が東海道線沿線で見られるのだろう。

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