□+漢字(西尾士族工場)

東海道線揖斐川橋梁(明治19年12月竣工)の井筒の煉瓦には〝エー〟〝ビー〟〝シー〟の形状指示印とともに縦横2分ほどの小さな漢字を四角で囲った添印が添えられているものがある。具体的には「」「平」「青」「」を検出。明治21年11月竣工の天竜川橋梁橋脚近傍の瓦礫からも”ビー”+”□青”を採取しているほか、一連の工事の余剰分を寄せ集めて建設されたとみられる石ヶ瀬川橋梁(M24.6.改築)橋脚残骸の扇形異形煉瓦にも形状指示印「シー」を打刻した「斗」があった。これらの橋梁の建設時期と西尾士族工場の納入時期が一致すること、その頃には同工場が鉄道省の指定工場となり独占的に納入していたという記録がある(『西尾市史』第4巻 p.125)ことから、この時期同工場で使用されていた識別印と推定したい。

非常に興味深いことに、上記〝□+漢字〟の添印は敦賀港駅ランプ小屋に見られるものと完全一致するものがある。例えば”□+圡”などは間違いなく同笵印、「青」「平」なども揖斐川橋梁に見られるものによく似ている。かのランプ小屋に使用されているのも西尾士族生産所の(あるいはその前駆体である精成社の)製品であるらしい。

さらに、初代呉鎮守府庁舎の解体瓦礫を使って築かれたとされる入船山記念館旧券売所にも上記刻印と一致するものがある。初代呉鎮守府庁舎は明治20年2月6日着工・22年3月31日竣工という記録があり(『街のいろはレンガ色』p.131)、上述東海道線の建設時期とも一致する。

敦賀港駅ランプ小屋の刻印種類と揖斐川橋梁で検出したものとを合わせると約20種の印があることになるが、『西尾市史』所収書面に、西尾士族生産所立ち上げ直後には鉄道局御用品の製造能力のある者が17、8人いたことが記されてあり、その人数と略一致するのも示唆的である。ただ残念なことに現時点では西尾市街で〝□+漢字〟印は検出されていない。これとよく似た〝□+カナ〟は多数検出されているのだが---熟練者は自分の名から一字を取った印を使うことが許され、それ以外には汎用性のあるカナ印で済ませていたと考えられなくもないが---。

〝□+漢字〟印が西尾士族工場の使用印である可能性を検討するために同工場の職工名簿(西尾市教育委員会蔵)に当たり、既知の”□+漢字”刻印の漢字に該当する名前があるかどうか確認したところ、約6割の一致をみた。この名簿は西尾士族生産所の罫紙を用いていることや掲載人員の総数が明治19年度の愛知県統計書に掲げられた西尾士族生産所の従業員数に一致することからM19末頃に作成されたものとみられる。その時点で6割の一致というのはいささか低すぎるかも知れない。

 

漢字 ランプ小屋採刻? 他所煉瓦に検出? 名簿にある? 身分 名前
□西 yes no yes 西尾士族 西村伊之松
西尾士族 西村久五郎
西尾士族 西村義三郎
□大 yes yes
(呉鎮)
yes 西尾士族 大谷庸次郎
東端村 大岡道松
東端村 大橋源吉
棚尾村平民 大竹由三郎
□市 no no yes 西尾士族 市川嘉市
西尾士族 山口市蔵
小川村平民 市川周吉
□長 no no yes 東端村平民 長田元蔵
富山村平民 長谷鈴三郎
□國 no no yes 西尾士族 國友利蔵
□角 no no yes 北大浜村平民 角谷喜太郎
□南 no no yes? 役員(西尾士族) 南東
役員(西尾士族) 南隼太
□木 yes no yes? 役員(西尾士族) 木口半也
□平 yes yes(揖斐川Br) yes 西尾士族 平井吉蔵
西尾士族 平井鍬三郎
大浜村平民 平松廣吉
□青 yes yes(天竜川Br) yes 道光寺村平民> 青山重次郎
道光寺村平民 青山良吉
戸ケ崎村平民 青山米吉
□萩 no yes yes
(揖斐川Br、呉鎮)
西尾士族 萩山安次郎
□圡 yes yes
(揖斐川Br、呉鎮)
no
□斗 yes yes
(呉鎮、石ヶ瀬川Br)
no
□池 yes yes
(呉鎮)
no
□泉 yes no no
□近 yes no no
□又 yes yes
(呉鎮)
yes 士族 村山又五郎
□石 yes no yes 上町村平民 石川奥次郎
碧海郡棚尾村平民 石川道助
yes
yes
○久 no yes
(呉鎮)
yes 士族 西村久五郎
上町村平民 小久江猪太郎

しかし同様の突き合わせを、東洋組分局として西尾工場が稼働を始めるにあたり結成された〝西尾士族生産談話会〟の会員名簿で行なうと8割以上の該当名を拾うことができる。「泉」を「仙」「専」、「斗」(ます)を「益」など同音異字の当て字と仮定すれば「□角」以外はすべて相当する名前がある。ランプ小屋には〝左〟〝板〟など漢字単体の刻印もあるが、それらも含めての結果である。漢字東洋組はその就業規約で生産談話会の会員やその紹介者に限って就業できるとしていたので、この名簿にある人物が煉瓦製造に関わった可能性が高い。ただし該煉瓦が作られたのは名簿作成の3年ほど後のことであるし名簿にあるからといって全員が従業したとも限らないため、このことが〝□+漢字〟印が西尾士族工場印だという確証にはならないだろう。悩ましいところである。


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