
”□+カナ”刻印(勝部煉瓦製造所)
”□+漢字”とともに姫路駅旧転車台から検出されていることから、少なくとも明治21年頃には操業していた会社のものと考えられる。その他で見つかっているのは京都市伏見区深草フチ町、豊中市中桜塚など。検出場所が離散的で特定には至っていない(深草フチ町には後に竹村煉化石製造所が興っている。M30)が、山陽鉄道遺構で主に見つかっている〝□+漢字〟印と□枠が共通していること、姫路駅転車台遺構では両者が共使いになっていたことを考えると勝部煉瓦製造所の使用印である可能性が高い(初期は〝□+漢字〟印を、後期には〝□+カナ〟印に移行した?)。
愛知県豊橋市・豊橋公園で検出した〝□+カ〟が関西の”□+カナ”刻印と同系統であるらしいことは注目に値する。一応は勝部煉瓦製造所の使用印と仮定しておくが、使用者を関西の工場に限定しないほうが良いかも知れない。なお山陽鉄道は愛知県碧海郡の三陶組が製造した土管を多く採用したとされる(碧南市編『碧南を駆け抜けた熱き風たち −碧南人物小伝−』角谷安兵衛)ので、山陽鉄道の建設時期に三河方面から兵庫への商品輸送はあり得た。