”五光丸”刻印

堺煉瓦刻印に似るが、中央の丸から放射状に5本の線が伸びる。線の先端は鈍い剣状である。検出例はわずかで、明治21年頃から建設が始まった生石山砲台の付近で検出されているほか、姫路駅転車台付近から遊離単体物として(兵庫県文化財調査報告第403号『豆腐町遺跡II』)、また鹿児島県集成館遺構から(正盛舎耐火煉瓦とともに?)出土している。総じて明治20年代初頭の構造物に由来するようである。

堺煉瓦刻印との類似性から、その前駆体である共立社の使用印と推測したい。同社の設立記事が大阪毎日新聞M22.6.22号に、また堺煉瓦株式会社による買収の記事が大阪毎日新聞M26.6.17号第2面にある。共立社の設立は高木嘉兵衛ほか五氏の発起で、堺煉瓦も高木嘉兵衛による設立&自社買収であった。


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