名古屋耐火工業? 耐火煉瓦@大東市新町4

http://bdb.kyudou.org/?p=6328

2件のコメント

  1. 台湾の金瓜石の炭鉱跡でも、同じく「NAGOYA」と大きく刻印された赤レンガを発見しました。形も非常に良好な状態です。インターネット上では、大阪でご覧になったもの以外に、同じものは見つかりませんでした。

    1. 興味深い情報ありがとうございます。出自を特定できない転石のため特定に苦労しておりましたが、明治40年に名古屋煉瓦合資会社という工場が成立し、初期には赤煉瓦を製造、大正5年前後には耐火煉瓦を専ら作っていたことがデータから判明しています(https://bdb.kyudou.org/wp-content/uploads/2022/02/chububricktable.pdf)。赤煉瓦でも同じ表記を使っていた可能性があるとすれば、名古屋耐火工業(昭和13年創業昭和後半まで創業)よりこちらのほうがふさわしいかも知れません。
      明治期末には日本から台湾へ向けてかなりの量の赤煉瓦が輸出されたようで、要塞建築に堺煉瓦の製品が使われていることを教えてくださった方がありました。逆に大陸産の耐火煉瓦が本土で見つかったりもしています。煉瓦一個からも当時の関係が窺い知れるのは面白いことです。

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