旧辰馬喜十郎邸敷地の東南隅にある煉瓦造の蔵(元は屋敷塀?)の蛇腹裏。他に〝煉〟〝化〟〝製〟〝造〟を確認。姫路駅転車台の例も合わせて勝部煉瓦製造所の使用印と推定される。
旧辰馬喜十郎邸(母屋)は明治21年5月31日に上棟。辰馬吉左衛門、辰馬悦蔵、辰馬半右衛門による辰馬組設立・煉瓦製造部の設置は明治21年6月か(兵庫県統計書 明治24-25年)。この時系列が正しければ喜十郎邸に辰馬組の煉瓦は使われていないことになり、先行していた勝部煉瓦製造所の製品を使用したとみてよいことになる。ただし該塀と母屋が同時期に作られていたという確証はない。喜十郎邸北側に隣接して建設されていた辰馬喜十郎店・酒蔵(阪神大震災で被災し解体された)は明治25年竣工だった(『兵庫県文化財調査報告書 昭和56年度指定』)。