隅立て井筒+三線 ”に二五”@四日市市万古町1

当家で使っていた窯業窯の煙突の解体瓦礫を舗石に転用したものと伺った。煙突は百年以上前からあったという古いもの。この他にも複数の隅立て井筒印煉瓦(普通厚で”に”を打刻)が見られる他に勢陽組・水谷工場の識別印とみられる大型カナ印も同程度見られる。隅立て井筒印と勢陽組識別印が同じ場所で検出されたのは西尾市尾澤歯科脇の縁石に続いて2例目で、同じ三重県内の製品としてまとめて流通した結果か?

隅立て井筒印を四日市煉瓦の最初期の使用印と考えると、同社が1888年3月4月頃に”東海道鉄道用厚形煉瓦”を製造していた記録があること(官報1888年05月09日ほか)、明治21年以降の構造物に隅立て井筒印が検出される傾向があることとと合致する。反証である初代揖斐川橋梁第一橋台井筒(M19.12.)と武豊線北浜田暗渠(M18.10.)、要検討。

http://bdb.kyudou.org/?p=13144

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