茨木川橋梁と門ノ前橋梁の間にある土手で採取したもので、大形・2-1/4インチ厚の撥形異形煉瓦に板状の道具の角で”ト”を刻む。9ft円形井筒を採用していた茨木川橋梁の撤去スパンから出胎したものとみられ、一連の形状指示印”イロハ”のひとつと考えられる。同じ頃桂川橋梁では”A~E”の異形煉瓦(形状指示)が採用されていたことを考えると、当時はまだ規格化の意識が希薄で、工事箇所ごとに使用する煉瓦を設計し構築していたことがわかって興味深い。
余談だが、一連の”形状指示 イロハ”印の煉瓦に付着していたモルタルは非常に堅固で容易に落とせなかった。混ぜられた砂の粒度が粗く、そのせいで酸に溶けにくいのだと思われる(この粒度はちょうど安威川河川敷の砂州のそれに似ている。海砂であればもっと細かいはず)。該煉瓦も刻印部分に詰まったモルタルを落とすことができず、そのためにただの傷だと思って長い間見過ごしていたものである。