大阪城本丸転石(大阪市上水道由来?)や宇治駐屯地補給課本部(宇治火薬製造所)などM28頃の建造物に稀に見られる刻印。木津川橋梁でも並形普通煉瓦の壁体状瓦礫にこれが混じっている。添印”イ”、”へ”を確認。同所で旭商社や堺煉瓦、岸和田煉瓦の製品が見られることと考え合わせるとM28~29頃に泉州で創業していた工場の使用印であるのかも知れない。検出例がごく僅かなことは創業期間の短さを、また添字”へ”の存在から抜き職工6人程度、その4倍程度の人員が要ると考えて総職工数30人前後であったことが想像される。
”○-”@奈良鉄道木津川橋梁
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