M36.1.25/ 『大阪府工業概覧』(M36頃の大阪府の煉瓦工場)

府立大阪商品陳列所編 『大阪府工業概覧』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/802675/98


大阪窯業株式会社


堺市南附洲新田一番屋敷
電話堺174番

▲設立年月 明治十五年一月

▲資本金 十二万円,既払込株金拾万二千円,積立金九千円,一株五十円

▲沿革 同社は明治十五年一月資本金一万円を以て株式会社を組織し大阪市西区川南大字湊屋に創立し硫酸瓶製造会社と称し登り窯二基の築造をなし硫酸瓶並に雑種陶器及煉瓦製造を開始す同二十年十一月資本金を五万円とし社名を大阪窯業株式会社と改め「ホーフマン」式輪環の煉瓦焼窯一基を築造し煉瓦製造事業の拡張をなす同二十六年十二月陶器製造を廃止し専ら煉瓦製造をなし同二十九年一月再び資本を増額して六万円とし堺市南附洲新田字紺屋町浜に分工場を設け同社改良の「ホーフマン」式輪環煉瓦焼窯一基の築造をなす同三十一年製品改良の目的にて独逸より最新式煉瓦製造機器を取寄せ爾来此器機にて製造に従事せるに幸にして好成績を得たり而して同社技師の発明に係る前記環窯は製品の焼度均一を得せしむると余熱を利用して素地の湿気を排除し焼成の上品質の色澤の美麗ならしむるの考案にして専売特許たり又同年七月大阪の本社を堺の分工場へ移し同年十一月資本金拾二万円に増額し同三十三年一月「ホーフマン」式輪環窯一基を増築し従来のものと二基を以て現今の事業に従事せり.

▲製品の種類及其価格 普通品のは東京形並形の二種にして其他異形と称うるもの数種あり,価格は東京形一千個に付十二円並型同拾円なりとす

▲原料及其生産地 原料は粘土にして其生産地堺市付近の耕地より年々約九百万貫目内外を採掘す

▲販路 大阪,神戸,京都,近江,和歌山,山陰,山陽,四国,九州,台湾,朝鮮及清国

▲最近五年間の製造額は左の如し

 明治三十年 五百七十二万三千八百三十五個

 明治三十一年 一百一万三千五百七十六個

 明治三十二年 四百七十一万千八百六十八個

 明治三十三年 八百十八万九千二百八十四個

 明治三十四年 千二十七万四千二百個

▲総て会社直接の取扱にして委託販売等の事なし

▲役員 社長磯野良吉,取締役辻忠右衛門,同河中源造,同白井唯一,監査役長尾藤三,同内藤為三郎,支配人兼技師長大高庄右衛門

▲職工数 男四十九人女十四人

堺煉瓦株式会社

大阪府堺市吾妻橋通二丁

電話堺一五六番

▲設立年月 明治二十六年六月
▲資本金 二拾五万円,一株二拾五円,払込高七万円
▲沿革 同社は元共立合資会社と称したりしを明治二十六年株式会社に変更したるものにして其存立期間は廿ヶ年なり.同社の盛時は設立より二十八九年に到る迄にして此間常に二割有余の配当を為したるも三十年以来は需要の減少,同業者間の競争等の為め従前の如く利益を得る能わずして其配当も六分に降りたるが本年に及びて較や好況を呈するに至れり
▲製品の種類及其価格 同社製作品は並型煉瓦及東京形煉瓦の二種にして並型は一個に付七厘,東京型は七厘五毛なり
▲原材料及其産地 原料は粘土にして大阪府泉北郡百舌鳥村より出ず
▲製造額 同社過去五年間の製造額は左の如し
三十年 7,100,000個
三十一年 4,000,000個
三十二年 4,100,000個
三十三年 5,900,000個
三十四年 7,600,000個
▲販路 大阪,神戸,九州,山陰道,台湾,朝鮮等
▲販売の手続 大口は入札に依り小口は臨時販売す,朝鮮等への輸出は同社直接の取扱に係るときと又間接輸出の場合あり
▲役員 取締役福本元之助,武内四郎,岡村猪之吉,佐野幸助,監査役員広岡信五郎,正野玄三,高木嘉兵衛
▲雇人職工数 事務員十二人,職工三百人(内二百人は囚徒を使用す)雑役五十人

貝塚煉瓦株式会社

大阪府泉南郡貝塚町大字貝塚南百九十九番屋敷

▲設立年 明治二十七年七月
▲資本金 七万円(払込済)一株二拾五円 積立金四千三百円
▲沿革 同社は元貝塚煉瓦製造所と称し明治廿五年の創立に係り,田端治平氏一個の所有なりしが同廿七年七月資本金一万円の株式会社と為して現今の社名に改め其後事業の拡張に伴い同丗一年一月七万円に増資して今日に至れり
▲製品の種類及其価格 上等,中等,下等の三種にして一千個の平均価格七円五十銭なり
▲原料及其産地 原料は粘土にして田畑の床土を用い,産地は大阪府泉南郡麻生郷村及北近義村等なり
▲製造額 昨丗四年七月より同十二月に至る同社半期間の製造高は四百八十八万九千八百四十八個半製品四十六万四千八百四十四個,合計五百三十五万四千六百九十二個
にして平均一日の製造は二万九千百個に当る
▲販路 販売歩合は神戸及大阪へ七分,中国及九州へ三分にして多くは鉄道用及倉庫用に供す
▲営業の方法 入札又は指命に依りて之が供給を為し代金は現品を需要指定の場所へ持込み検査を受けたる後之が支払を請く
▲役員 社長田端治平,取締役信貴孫次郎,沼野八郎平,左納亀之助,監査役大澤貞順,塩谷五平
▲職工数 男二百四十三名,女工五十七名

岸和田煉瓦株式会社

大阪府泉南郡岸和田町大字岸和田町並松二百八十番地

▲設立年月 明治廿六年十一月
▲資本金 五万円(払込済)一株二十円,積立金七千八百五円
▲沿革 同社は初め第一煉瓦製造会社と称し明治廿年七月の創立に係るものなるが同廿六年十一月商法の規定により更に登記を受けて岸和田煉瓦株式会社と改称し資本金も一万四千円を廿八年十月中増加して四万二千円と為し更に翌年七月五万円に増資して総株数二千五百株とし又器機も旧式煉瓦焼上げ窯のみなりしも更に洋式ホフマン窯数個を備えて大に事業を拡張したり
▲製品の種類及其価格 赤焼煉瓦石東京形一個に付一銭,同並型一個に付九厘,耐火煉瓦石東京形一個に付二銭,同並型一銭八厘なり
▲原料及其産地 原料は粘土及白土にして粘土は泉南郡沼野村,岸和田村,南掃守村より取り白土は同郡熊取村の山地等より出づ
▲製造額 同社昨丗四年の製造額は一千百三十一万七千個なり
▲販路 大阪神戸,五歩,山陰山陽両道,二歩,清国及韓国一歩,九州一歩,各地方一歩,
▲営業の方法 販売は官衙及諸会社の需要に応じ入札又は随意契約の方法を取り其他仲買人に相当の手数料を與え需要者と直接取引することあり
▲役員 社長山岡伊方,取締役寺田甚與茂,広海惣太郎,金納源十郎,木谷七平,監査役寺田元吉,宇野小七郎,支配人日高邦道
▲雇人職工数 百十三人

横山耐火煉瓦製造所

大阪市南区塩町通二丁目六十一番屋敷

電話 東九三七番
工場 南区難波稲荷町一丁目

▲設立年月 明治二十四年五月
▲沿革 設立の当時より二十六年に至る迄は製造額年を経て増加し大に好況を呈したりしが二十七年後半季より日清戦役中は需要額に減じたりしも戦後経済界の膨張事業の勃興と共に需要頓に増加するに至れり然るに三十四年度に至り政府事業繰延の結果之が影響を被り一時需要減少したりしが本年後半期に入り再び旧に復するに至れりと云う
▲製品の種類及其価格 左の如し
並型耐火煉瓦一個に付き 自三銭至四銭五厘
耐火モルタル一基に付き 自一銭至二銭
分析用マップル一個に付き 自四十五銭至一円二十銭
各種異型耐火煉瓦石 価格は製作の難易形状の大小に依りて一定せず需要家と相談の上之を定む
分析用各種土製坩堝及焼皿鋳鋼土管 価格の点は前同断
▲原料及産出地 蝋石質(兵庫県神崎郡及其付近一帯及備前和気郡三石村及其付近(粘土質(京都府相楽郡鹿背山村及付近一帯,伊賀国阿山郡島原及其付近及大阪府泉南郡熊取村及其付近)
▲製造額 最近五ヶ年間の製造額は左の如し
明治三十年 680,000円
明治三十一年 1,008,000個
明治三十二年 1,150,000個
明治三十三年 1,300,000個
明治三十四年 960,000個
▲用途 高度の熱を要する諸火爐の内部に使用して対火作用に耐う
▲販路 内地十分の九外国十分の一
▲販売の手続 各需要家の注文に応じて製造販売す
▲製造主 横山善三
▲職工数 三十五人

河内赤山煉瓦製造株式会社

大阪府北河内郡甲可村大字岡山

▲設立年月 明治三十年十月
▲資本金 三万円 一株三十円
▲沿革 同社は初め煉瓦製造の目的を以て起りたるも結果思わしからず其原料たる土質は煉瓦よりも寧ろ黒焼土管に適するを以て中途にして之が目的を変更し明治三十三年五月尾張より職工を募り土管製造を試みたるに頗る好結果を得たれば爾後煉瓦製造を休止して更に土管製造に従事し以て今日に至れり
▲製品の種類及価格 製品は土管にして其価格は並尺金四十五銭,同七寸五分二十七銭,同五寸十五銭,同四寸九銭,三寸五銭五厘等なり
▲原料及其山地 原料は粘土にして同社付近より産出す
▲用途 鉄道,道路,下水道等に使用す
▲製造額 三十三粘土及三十四年中の同社土管製造額は左の如し
1,157,680円(三十三年度)1,372,540円(三十四年度)
▲販路 大阪及各地方
▲販売の手続 同社直接の販売は甚だ少額にして大部は各販売店に特約す
▲役員 社長岡島利三郎,取締役岡島孝太郎,村川市次郎,植村藤三郎,山本猪太郎,監査役澤田與三郎,岩井政之助
▲職工数 職工六名 人夫八名

(『大阪府工業概覧』明治36.1)

http://bdb.kyudou.org/?p=8798

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