関西地方の初期の煉瓦造建造物

明治初年から日露戦争頃まで。

名称 場所(現行地名) 備考 出典
明治2
(1869)
川口居留地洋館 大阪市西区川口 「此節ニてハ異人家形色々様々と美々敷、素やきの瓦石を積上、白かべ土蔵作りニ仕立」 川口居留地は慶応4から区画販売開始。 『近来年代記』下p.143(『大阪川口居留地の研究』p.33)
明治3
(1870)
堺紡績所(戎島紡績所) 堺市 薩摩藩により創業、明治3年操業開始。煉瓦壁らしいものが描かれた錦絵がある(作成時期不詳)。岸和田紡績株式会社五十年史に泉州紡績時代の写真。昭和8年解体。

Wikipedia堺市立図書館地域資料デジタルアーカイブ

明治3年3月
(1870)
川口電信所 堺市 川口運上所(川口雑居地内)に設置、M3.3より東京大阪間の電信を取り扱う。洋風建築。『なにわ今昔』掲載写真を見る限り川口居留地の洋風建築に似た造り(隅石+漆喰塗り壁、恐らく内部は煉瓦積み)。

『なにわ今昔』p.28(写真はM10頃撮影)

明治4年3月
(1871)
砲兵工廠御蔵門番所 大阪市北区 後に火具製造所の物置として利用。砲兵工廠最初の煉瓦建築。 大阪砲兵工廠沿革史』p.3(『大阪砲兵工廠の研究』p.27)
明治4年頃
/明治6年9月
(1873)
造幣寮 大阪市北区 開業時までに建設された煉瓦造建築は以下の通り。出典:『造幣局百年史』資料編pp.22-26

名称

規模

工期(資料997.2-87)

金銀貨幣鋳造場・地金局 出煙突

機械所121尺、焼生所61尺、伸金所61尺、銀溶解室C 50尺

同 鎔解所建足し(試験溶解所)

桁行17尺、梁行10.5尺

4.10.16~5.4.16

同 鎔解所建足し(銀溶解室)

桁行52尺、梁行30尺

4.10.16~5.4.16

同 試験分析所建足し

桁行38尺、梁行26.5尺

4.10.16~5.4.16

同 淘汰場

桁行25.1尺、梁行14.6尺

4.10.16~5.4.16

同 キンドル詰所

桁行25.3尺、梁行23.8尺 三方煉瓦積み

5.1.20~5.5.27

同 キンドル詰所二階建て

桁行13.4尺、梁行31.6尺 壁赤煉瓦積み

地金局 金改め所

桁行36.8尺、梁行22.0尺

地金局 金庫

桁行30尺、梁行20尺

地金局 計算課詰所建足し

桁行22.0尺、梁行11.5尺 金改め所~計算課6個所壁赤煉瓦積み

5.10.31~5.11.8

銅貨幣鋳造場

桁行467.2尺、梁行48.2尺

5.2.7~建築中

同 試験所

桁行22.3尺、梁行26.4尺

同 出煙突

高90尺

同 雪隠

桁行17.3尺、梁行4.5尺

同 鎔銅所下家東側赤煉瓦塀

長37.5尺

同 焼生所赤煉瓦壁

長19.5尺

同 大井戸赤煉瓦壁

長31.9尺

同 出煙突赤煉瓦壁

長19.3尺

同 分析所用物置

桁行49.4尺、梁行34.85尺

工作場

桁行121.6尺、梁行32.6尺

6.9.3~建築中

精製分析所及所属建物

242.45坪(原文には細かくあり)

3.11.3~4.7.-

硫酸製造所蒸気場

桁行30尺、梁行20尺

3.11.3~4.7.-

ガス製造所

25.53坪

3.11.21~5.10.-

同 石炭小屋

桁行231.8尺、梁行30尺

4.3.10~4.10.5

同 石炭小屋

桁行82尺、梁行30尺

6.3.1~6.3.31

コークス製造所 コークス窯

長162.5尺、幅12.6尺、56.87坪、焚口11

うち5口建増 5.3.16~5.5.10 

製作瓦焼立所

桁行23.4尺、梁行18.1尺

6.3.-~6.4.10

警備員当直所 牢屋・ポンプ小屋

桁行96.0尺、梁行17.0尺

製作瓦焼立所

桁行23.4尺、梁行18.1尺

6.3.-~6.4.10

泉布観

桁行81.0尺、梁行67尺、二階建、壁赤煉瓦積み Wikipedia:煉瓦及び石造、二階建、正面車寄付、桟瓦葺、ヴェランダ・コロニアル様式。
煉瓦サイズ:230x120x60
~4.2.- 『大阪百年史』p.1046では3年10月頃とする 日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.2
上等洋人館

桁行81.0尺、梁行70尺、二階建、壁赤煉瓦積み

~4.2.-

中等洋人館

桁行75.0尺、梁行66.0尺、二階建、壁赤煉瓦積み

~4.2.-

北下等洋人館

桁行133.7尺、梁行45.1尺、二階建、壁赤煉瓦積み

4.7.7~5.2.20

下等洋人館 赤煉瓦塀

長23.35間

5.10.15~6.2.16

下等洋人館 腰赤煉瓦積み柵矢来

長111尺

5.10.15~6.2.16

北職人長屋 赤煉瓦壁

長延べ3346.7尺

3.8.始~4.9.-
明治6年
(1873)
砲兵工廠 轆轤場 大阪市北区 煉瓦石造、三階建て、仏式四斤山砲・野砲の製造を開始。明治8年に焼災に遭い、M14頃再建して砲兵工廠本部として使用(戦後まで残存)。 大阪砲兵工廠沿革史』p.4(『大阪砲兵工廠の研究』p.81-82)
明治7年
(1874)
梅田ステンショ(初代大阪駅) 大阪市北区 煉瓦造2階建 明治34年に二代目駅舎に改築 サンケイ新聞社『写真集おおさか100年』p.58
明治7年
(1874)
二代目大阪府庁舎 大阪市西区江之子島一丁目 二代目庁舎、煉瓦・石造、二階建、大正期に増築。阪府授産所煉瓦使用。 『大阪府庁舎』econo
明治7年
(1874)
蓬莱社(製紙場) 大阪市北区中之島(玉江橋西詰、旧熊本藩邸跡) イギリス風の煉瓦造り 『大阪百年史』p.1046
明治7年
(1874)
大阪神戸間鉄道 大阪府~兵庫県 煉瓦製拱渠がいくつか現存。小口刻印が土木史研究講演集の小野田氏の文にあり。
明治8年頃
(1875)

第三大区二十三番小学校(栄小学校) 大阪市西区 M8.9に新築、M11.2.に西大組第二十二区小学校(通称栄小学校)と改名。日本三校の一と称せられた洋風建築で、「大坂第一等と呼れる煉瓦石造なり」と記した新聞記事もある。( 『新修大阪市史』第五巻pp.650-651
明治9年
(1877)
京都大阪間鉄道 京都府~大阪府 煉瓦製拱渠、橋脚等。桂川橋梁円形ウェルにはA~Eの刻印煉瓦。神崎川橋梁には漢数字”二”
明治11年
(1879)
住友家住宅洋館 大阪市中央区鯰谷 住友銅吹所跡に建設。二階建て煉瓦造コロニアル様式。「MLAY」刻印の出処? 大阪市文化財協会『住友銅吹所発掘調査報告
明治12年
(1879)
富島天主堂(川口天主堂) 大阪府西区川口 フランス領事館の要請で建設された礼拝堂。純ゴシック式(『大阪百年史』p.1047)。現川口聖マリア教会・聖マリア保育園。北側に残る壁は当時のもの? ○刻印と「リ」刻印が検出される。 現地看板
明治12年1月
(1879)
/明治13年11月

造幣寮 曹達製造所 大阪市北区 『造幣局百年史』資料編p.33
明治13年
(1880)

官設鉄道 京都大阪間 逢坂山トンネル

京都府山科区~滋賀県大津市

長約250m、単線。煉瓦巻立

明治13年
(1880)

神戸外国人居留地 15番館(旧アメリカ領事館)

神戸市中央区

木骨煉瓦壁。阪神大震災で倒壊・再建。使用されていた煉瓦から「兵庫県下 播磨国明石郡 □幡前□吉□郎」という墨書きが見つかっている。

株式会社ノザワ 旧神戸居留地十五番館

明治14年
(1881)

官設鉄道 敦賀線 小刀根トンネル

福井県敦賀市

総高6.2m・全幅16.7m・総延長56m。

Wikipedia

明治15年頃
(1882)

伝・敦賀線建設用煉瓦工場

福井県敦賀市

新道野の山中に残る煉瓦製造場跡。焼損煉瓦が多数転じる。敦賀線建設のために煉瓦を焼いた場所とされる(疋田駅近くの眼鏡橋にはここの煉瓦が使用されたという伝承あり)。施工には藤田組が関わっている。

(敦賀市立博物館冊子)

明治15年1月
(1882)
砲兵工廠海岸砲架場 大阪府北区 轆轤場に隣接して建造。砲兵工廠の本格的な煉瓦建築のはじまり? 『大阪砲兵工廠の研究』p.82
明治16年
(1883)
大阪駅平田運輸倉庫(倉庫・税関) 大阪市北区梅田町 1961年当時、この他にもいくつかの煉瓦造倉庫が残っていた。 日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.4
明治16年
(1883)
大阪紡績会社工場 大正区三軒屋 赤煉瓦造三階建て。東洋紡には関西煉瓦の煉瓦が保存。注:明治20年代初頭に火災を経験している。東雲新聞?要確認。
創業時からあった2号工場は三階建の煉瓦造。(『新修大阪市史』第5巻、p.357)
『大阪百年史』p.1047、毎日新聞大阪版2010年8月5日号「わが町にも歴史あり 知られざる大阪」
明治16年
(1883)

鐘ヶ坂隧道

兵庫県丹波篠山市~丹波市

煉瓦造道路隧道。煉瓦は現地生産(柏原方に煉瓦工場跡とされる場所あり)。施工・藤田組。篠山口には厚70mmを超える大型煉瓦が使用されている。

現地看板ほか

明治17年
(1884)

官設鉄道 敦賀線 柳ヶ瀬トンネル

滋賀県長浜市~福井県敦賀市

長1352m、単線。煉瓦巻立。施工・藤田組。前後と小トンネルは鹿島組。

明治17年
(1884)

同志社大学 彰栄館

京都市上京区今出川町

アメリカン・ボードの寄付・D.C.グリーン設計。*224×109×53mm

同志社大学HP、*日本科学技術史体系17 p.308

明治18年
(1885)

阪堺鉄道難波駅 大阪市浪速区 煉瓦積み?洋風建築 サンケイ新聞社『写真集おおさか100年』p.65
明治18年
(1885)

造幣寮 製作所 大阪市北区 マクラガン建議の新工場。煉瓦+花崗岩造。蒸気機関及ボイラー室:高80呎8角煙突1・機械場:100呎×56呎、屋根28呎の2棟・鍛冶場:125呎×35呎、鋳物場60×40呎、工匠及漆工の工場・器具及び鉄類貯蔵場・機械方詰所・製図室 後に鍛工場・鋳工場・型工場となる。鍛工場・鋳工場は1961頃現存。鍛工場煉瓦はフランス積22.5×10.5×5.3、鋳工場フランス積22.7×10.7×5.5 『造幣局百年史』資料編p.38、日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.2
明治19年6月
(1890)

同志社大学 礼拝堂

京都市上京区今出川町

D.C.グリーン設計。日本最古のプロテスタント系煉瓦造チャペル。*222×108×52mm

同志社大学HP、*日本科学技術史体系17 p.308

明治19年
(1886)

金ケ崎隧道

福井県敦賀市

煉瓦造道路隧道。施工・藤田組。同時期に春日野隧道も煉瓦巻で建造される。

(工学会史報告「天筒山隧道」)

明治19年
(1886)

旧池田隧道

和歌山県紀の川市

煉瓦造道路隧道。麓の田中村で煉瓦を焼いたと伝わる。田中村には後に和歌山煉瓦工場が稼働。北側は後補?

(武内氏研究ノート&いただいた資料)

明治19年
(1886)

大阪鉄工所工場

大阪市西区

『明治工業史』編纂時には造船工場に3つの煉瓦建築。JA掲載の絵図に一致?

メイジ工業史 造船編ジャパンアーカイブズ

明治20年
(1887)

同志社大学 有終館

京都市上京区今出川町

1887年11月に竣工した「書籍館」。D.C.グリーン設計。*222×108×53mm

同志社大学HP、*日本科学技術史体系17 p.308

明治20年
(1887)

旧草津商工会議所・旧草津警察署

滋賀県草津市本町1

煉瓦造2階建 ドイツ人技師 フランス済み・木造小屋組・桟瓦葺。1980頃空き家

『日本近代建築総覧』p.278

明治20年

大阪窯業ホフマン窯

大阪市西区

湊屋新田時代の工場で使用。同社製品か。

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治20年代

近藤商店

神戸市伊藤町

煉瓦造2階建・洋小屋組

日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.12

明治21年9月前後

神戸外国人居留地境界壁

神戸市中央区

15番・16番区画境界の壁。成金商社と若井煉瓦の製品が共使いされており、成金商社→若井煉瓦の移行期に建設されたものと推測される。15番館は明治13年頃建造という説が有力

株式会社ノジマ 旧神戸居留地十五番館裏話

明治20~30頃

念通寺壁

高石市千代田1

関西煉瓦、堺附洲煉瓦製とみられる煉瓦を使用。

明治21年
(1888)

天満紡績第一工場

大阪市北区

Wikipedia

明治21年
(1888)
/22年5月操業

平野紡績工場

大阪市平野区

明治20年設立、工場は砲兵工廠技師指導により建設、仕上げ菊池恭三。

山崎泰央「紡績業の発展を支えた技術企業家―山辺丈夫と菊池恭三―」(日本の企業家活動シリーズ No.57) 大日本紡績株式会社五十年記要pp.64-65

明治21年操業開始
(1888)

浪華紡績工場

大阪市此花区

明治23年濃尾地震で第二工場3階が崩壊。第二工場:50× 20間のレンガ造三階建。大阪朝日新聞に挿絵。

放送大学大阪学習センター みおつくし 第60号 平成28年1月発行

明治21年12月
(1888)
/明治22年5月

大阪電灯西道頓堀発電所

大阪市

創業時の記録にはないが、28年時点のものには煉瓦煙突(八角形、高111尺、口径4.5尺)記載。建屋自体は不明。

大阪電灯株式会社沿革史p.35

明治21年<br>(1888) 大阪博物場(美術館) 東区内本町橋詰町 明治9年、初代府庁として利用されていた旧西町奉行所を改修して開場。明治21年に煉瓦造の美術館が建設される。大正時代に改築、大阪府立商品陳列所となる。 サンケイ新聞社『写真集おおさか100年』、『新修大阪市史』第五巻 p.861
明治21年(1888)

眺望楼(ミナミの五階)

大阪市浪速区

五階建て展望閣 一階部分は煉瓦積み?

サンケイ新聞社『写真集おおさか100年』p.68

明治21年(1888)

南地演舞場

大阪市浪速区

芸妓の技能向上のため難波駅斜め向かいに建設。煉瓦造3階?建

サンケイ新聞社『写真集おおさか100年』p.68

明治22年2月
(1889)
/明治23年9月

由良要塞 生石山第三砲台

兵庫県洲本市

第二期の要塞建築。掩蔽部・砲側庫に壁。総煉瓦造。左翼観測所及付属室はM33.1./M34.6.。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治22年3月
(1889)
/明治23年4月

由良要塞 生石山第四砲台

兵庫県洲本市

第一期の要塞建築。第一・第二とほぼ同じ(カノン砲砲台)。細★刻印、釘刻印。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治22年4月
(1889)
/明治23年6月

由良要塞 生石山第一砲台

兵庫県洲本市

第一期の要塞建築。総煉瓦造。若井煉瓦、漢数字刻印。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治22年7月
(1889)
/明治23年7月

由良要塞 生石山第二砲台

兵庫県洲本市

第一期の要塞建築。総煉瓦造。第一砲台と同じ構造。若井煉瓦、漢数字刻印。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治22年6月

第一絹糸紡績株式会社

京都市上京区東竹屋町

M41頃の写真が京都府写真帖にあり。

明治22年
(1889)

天満紡績第二工場

大阪市北区

Wikipedia

明治22年
(1889)

有本本店(「煉瓦の洋服屋」)

大阪市中央区高麗橋1丁目

有本賀三の洋服店。煉瓦造二階建てで「煉瓦の洋服屋」として親しまれた。この他20年代には心斎橋筋に煉瓦造の時計台を有する時計商店が三軒開業している(石原時計店、渋谷時計店、北出時計店)。

『新修大阪市史』第五巻 pp.874-875

明治20年9月10日
(1887)/明治22年6月11日竣工

京都織物株式会社本館(現・京都大学東南アジア研究所)

京都市左京区吉田下阿達町46

現存 日本土木(株)1980頃には付属工場(1階)も現存していた(『日本近代建築総覧』p.292)

明治22年
(1889)

八幡紡績工場

(旧)京都府綴喜郡八幡町橋本77番地

8月操業開始、24年伝法紡績が買収し八幡工場とする。遠景写真あり。

福島紡績株式会社五十年記 pp.3-4

明治22年?

大阪鉄道湊町駅

大阪市浪速区

「東雲新聞」記事。附属施設にも煉瓦を使用の筈

明治22年

今宮商業倶楽部

大阪市浪速区

天王寺動物園敷地の前身

明治22年
(1889)

石油倉庫会社(和田倉庫株式会社)倉庫

兵庫県和田崎町

24棟2880坪 総煉瓦造 明治30

『三菱倉庫百年史』p.45

明治22年
(1889)

旧第三高等中学校物理学実験場(京都大学)

京都市左京区吉田本町

煉瓦造1階 山口半六・久留正道設計 煉瓦、寄棟、日本瓦

『三菱倉庫百年史』p.45

明治23年
(1890)

京都河原町天主堂

京都市下京区河原町通三条上ル

煉瓦造 1961年頃現存

日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.10

明治23年
(1890)

大阪鉄道 芝山トンネル

大阪府柏原市

長216m、単線。アルファベット刻印、若井煉瓦”井桁若”使用

Wikipedia

明治23年7月
(1890)

同志社大学 ハリス理化学館

京都市上京区今出川町

J.N.ハリスの寄付によりハリス理化学校の校舎として建設。A.N.ハンセルによる設計。

同志社大学HP

明治23年
(1890)

大阪府立商品陳列所

大阪市中央区

田蓑橋橋詰。建坪約300坪、二階建、煉瓦造、高34尺、石灰燼コンクリートを使用。

大阪百年史、三宅拓也『大阪府立商品陳列所(1890年竣工)の建築について』

明治23年5月
(1890)
/明治24年3月
(1891)

第一国立銀行大阪支店

大阪市中央区

煉瓦造二階建、建坪133.3、軒高30尺。高麗橋二丁目。辰野金吾・小野釘吉(清水釘吉)

明治工業史建築編p.702

明治23年頃
(1890)
/明治24年7月

由良要塞 生石山火薬庫

兵庫県洲本市

第一期の要塞建築。第一・第二とほぼ同じ(カノン砲砲台)。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治23年7月
(1890)
/明治24年8月

由良要塞 成山第一砲台

兵庫県洲本市

第二期の要塞建築。漢数字刻印。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治23年7月
(1890)
/明治24年8月

由良要塞 第二砲台

兵庫県洲本市

第二期の要塞建築。漢数字刻印。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治23年
(1890)

旧芝川邸洋館

大阪市東区伏見町4

煉瓦造2階建 H7撤去

『日本近代建築総覧』p.309

明治23年
(1890)

旧家辺時計店

京都市中京区三条通富小路東入ル

煉瓦造2階

『日本近代建築総覧』p.289

明治23年
(1890)

プール女学校 校舎

大阪市西区川口・居留地第12番地

煉瓦造2階

『新修大阪市史』第5巻pp.810-811

明治24年頃
(1890)

高等英学校 校舎

大阪市東成郡天王寺村中山(現阿倍野区)

C.M.S宣教師 T.Dunnにより設立された学校。今日の桃山学院大学の源流。洋風煉瓦2階建て

『新修大阪市史』第5巻pp.811

明治24年
(1891)

三菱倉庫株式会社 長堀倉庫・事務所

(旧)大阪市中央区西長堀南通5丁目

24年早々から建設。25年営業開始。237坪。最新式のレンガ造倉庫と事務所。

『三菱倉庫百年史』p.37

明治24年

摂津紡績工場

(旧)大阪市南区木津川町

大正7年6月大日本紡績に合併。一部二階建て煉瓦造。p.82に写真。

大日本紡績株式会社五十年記要』pp.77~82

明治24年6月
(1888)

大阪電灯中之島発電所

大阪市

煉瓦造?

大阪電灯株式会社沿革史pp.37-37

明治24年(1888)

二代目大阪商工会議所

大阪市北区堂島浜通

明治24年に移転した大阪商工会議所は煉瓦造2階建

サンケイ新聞社『写真集おおさか100年』

明治24~25年

大阪鉄道 亀の瀬トンネル

大阪府柏原市

長413m、単線。アルファベット刻印、線描”〒”、”T”

Wikipedia

明治24年
(1891)

阿部製紙工場

大阪市此花区西九条

大林組(大林店)初受注の工場。後に富士製紙に合併される。大正10年廃止。

Wikipedia,『時・人・大林』p.37

明治24年~
(1891)

朝日麦酒吹田工場

吹田市西の庄

大半が解体

『日本近代建築』p.323

明治25年
(1892)

大阪郵便電信局

中之島

佐立七次郎設計。二階建て煉瓦造。階下は石灰モルタル、二階はセメントを目地に使用。

『大阪百年史』p.1048、明治工業史建築編p.654、平山育夫「明治
25(1892)に竣工した大阪郵便電信局について

明治25年前後
(1892)

造幣局 図書室、更衣室、電錬課詰所

大阪市

宇都宮三郎設計 煉瓦造、洋式トラス フランス積、225×106×53

日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.2

明治25年6月
(1894)
/明治26年10月
(1895)

大阪府会議事堂

大阪市

江之子島府庁に隣接して。坪244.7、軒高36尺5寸、工費42079円、設計吉井茂則

明治工業史建築編p.656

明治25年 8月
(1892)

大林組本店 土蔵

大阪府西区靱本町3−91

和風2階建て本社屋に付属。写真で見る限り煉瓦造+瓦屋根

『時・人・大林』p.36

明治25年8月
(1882)
/明治28年11月
(1885)

大阪市上水道 桜ノ宮水源地、大阪城配水池

大阪市北区

竣工時の建造物で煉瓦を使用したものは以下の通り。出典:『大阪市水道六十年史』pp.97-100。桜ノ宮水源地は柴島浄水場が完成して後大正年間に廃止される。

名称

規模

桜ノ宮水源地 沈殿池ポンプ室

桁行60m、梁行21.7m、坪数396 煉瓦造

桜ノ宮水源地 受水井

長さ1.3m 幅2.4m 深さ3m 煉瓦造

桜ノ宮水源地 沈殿池

長さ100m 幅72.7m 平均水深4.85m 4池。側壁コンクリート、水に接する面は焼過煉瓦

桜ノ宮水源地 濾過池

長さ55.2m 幅45.8m 8池 構造沈殿池と同

城内配水池

長さ60.6m 幅30.3m 平均水深4.85m 3池 濾過池と同構造 12個の煉瓦造アーチ型覆蓋を載せ、これらを煉瓦造隔壁11条が支える構造 隔壁に8個のアーチ型空所

大阪城配水池近傍ではアルファベット刻印、”○ホ”刻印を採取。上水施設ではなく陸軍師団関連?

明治25年3月
(1893)
/同年中?

由良要塞 由良軍道第一部(小池川橋、小佐毘川橋)

兵庫県洲本市

小佐毘川橋は現存(煉瓦製アーチ橋)。小池川橋は後年改築されたものが残存。

アジ歴資料

明治25年3月
(1893)
/同年中?

由良要塞 由良軍道第三部(大谷川下軍橋)

兵庫県洲本市

大谷川下軍橋が現存。煉瓦製アーチ橋。

アジ歴資料

明治25年3月
(1893)
/同年中?

由良要塞 由良軍道第三部(大谷川下軍橋)

兵庫県洲本市

大谷川下軍橋が現存。煉瓦製アーチ橋。

アジ歴資料

明治25年6月
(1893)
/明治30年8月

由良要塞 深山第一砲台

和歌山県和歌山市

第二期の要塞建築。アーチ型枠に煉瓦を平敷きした上へベトンでアーチを構築(M27要塞建築仕方通則にこの工法が記載されている。アーチ型枠に厚紙を張って打設する代わりの代替策)。アーチのツラはモルタル張り。カナ刻印あり。付属砲台・観測所(M25.1./M26.9.)は堺煉瓦刻印が優勢。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治25年1月
(1893)
/明治27年7月

由良要塞 深山第二砲台

兵庫県洲本市

第二期の要塞建築。総煉瓦造?。アーチのツラは煉瓦が顕わ。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治26年2月
(1894)
/明治27年4月
(1894)

由良要塞 由良軍道第四部(宮川橋、寺谷橋、禅寺川橋)

兵庫県洲本市

煉瓦製アーチ橋。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治26年2月
(1894)
/明治27年4月
(1894)

由良要塞 由良軍道第四部(宮川橋、寺谷橋、禅寺川橋)

兵庫県洲本市

鈴木守蔵指導、浪華紡績の岡田音次郎設計、煉瓦造二階建、建坪1270余坪

福島紡績株式会社五十年記p.13

明治26年10月
(1893)

朝日紡績株式会社今宮工場

大阪市浪速区

大林組

大林組70年略記

明治26年中
(1893)

由良要塞 赤松山・伊張山保塁間連絡交通路

兵庫県洲本市

小規模な煉瓦製暗渠あり。

アジ歴資料

明治26年中
(1893)

由良要塞 由良連絡交通路(婦野川第一・第二橋)

兵庫県洲本市

スパン4m/5mを超える煉瓦製アーチ橋。

アジ歴資料

明治26年1月
(1893)
/明治27年2月

由良要塞 赤松山堡塁

兵庫県洲本市

第二期の要塞建築。通路天井はCアーチ。刻印未検出。地元女性が出稼ぎで煉瓦運搬をした(『日本築城史』)。洲本・由良の中村重次郎工場製?

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治26年4月
(1893)
/明治27年6月

由良要塞 伊張山堡塁

兵庫県洲本市

第二期の要塞建築。刻印未検出。地元女性が出稼ぎで煉瓦運搬をした(『日本築城史』)。洲本・由良の中村重次郎工場製?

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治27年
(1894)

同志社大学 クラーク記念館

京都市上京区今出川町

神学教育と研究に利用。R.ゼール設計。

同志社大学HP

明治27年頃
(1894)

大阪電気分銅工場

大阪市北区

銅の電気精錬を生業とした工場。天満駅の北側。敷地面積1000坪、建屋煉瓦造り、煙突120尺。商店街の一角に当時の壁?が残る。工場敷地は後に日本伸銅株式会社が使用(大正元年)。

産業新聞社『近代日本の伸銅業: 水車から生まれた金属加工』p.201

明治27年
(1894)
/明治30年
(1897)

大阪市下水道(中央部下水道改良事業)

大阪市中央区

太閤背割を改修する形で煉瓦製下水暗渠を建設?

大阪市HP

明治27年
(1894)

平安女学院・明治館

京都市下京区下立売通烏丸通丸太町上ル

ハンセル設計 現存

『日本近代建築総覧』p.286

明治27年
(1894)

辰馬本家酒造煉瓦蔵

西宮市建石町

H7倒壊

『日本近代建築総覧』p.338、大林組70年略記、『時・人・大林』p.39

明治28年
(1894)

大阪鉄道 神武架道橋

奈良県橿原市

桜井線開業時の橋梁。橋脚に堺煉瓦刻印。

明治28年?
(1894)

旧京都電燈変電所

京都市上京区堀川通中立売下

1980頃西田洋傘株式会社、2017解体

明治28年
(1894)

旧第三高等学校機械工場(京都大学)

京都市左京区吉田本町

煉瓦造1階 切妻・日本瓦 現存せず?

『日本近代建築総覧』p.294

明治28年
(1894)

京都国立博物館旧本館

京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町

片山東熊・足立鳩吉設計 

『日本近代建築総覧』p.294

明治28年12月
(1885)
/明治29年9、10月
(1886)

大阪電灯幸町発電所

大阪市

八角形煙突、高150尺、口径7尺 M41には改築され軟鋼鈑製に。

大阪電灯株式会社沿革史p.40

明治29年
(1886)

堺紡績会社工場

堺市出島町

明治初年の堺紡績とは別。明治25年創業、同29年工場建設。昭和50年代初頭に解体された建物から丹治煉瓦の墨書きがある煉瓦が見つかっている(「弐千五百九十三束」「本焼上等」「丹治」22×12×6㎝で他より一回り小型)。一部が現地に保存。

読売新聞大阪版 昭和51年4月28日記事(明治建築研究会『スクラップ集 堺・大阪(1)』所収。堺市立図書館蔵)

明治29年4月
(1896)
/明治30年5月
(1897)

福島紡績工場(第二工場)

大阪市福島区

2015年解体。敷石に大阪煉瓦の刻印があった。

福島紡績株式会社五十年記p.14

明治29年4月
(1896)
/明治30年10月
(1897)

由良要塞 大川山堡塁

和歌山県和歌山市

第三期の要塞建築。転石に大阪窯業。

浄法寺朝美『日本築城史』、『現代本邦築城史 第二部 第四巻

明治29年

帝国奈良博物館(奈良国立博物館)

奈良市登大路町

煉瓦造2(外観は石だが)

『日本近代建築総覧』p.340

明治29年

大阪窯業改良ホフマン窯

堺市

堺時代の工場で使用 当初1基 M34頃2基

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治29~32年

明治生命本館(明治火災保険株式会社)

大阪市東区道修町4

山口半六設計 1961頃現存 煉瓦造+煉瓦タイル

日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.12

明治30年3月
(1897)

京都信号区草津検査詰所

滋賀県草津市渋川1

煉瓦造1階建 木造洋小屋組、桟瓦葺 1980頃現存

『日本近代建築総覧』p.278

明治30年
(1897)

大日本製薬(記念館)

大阪市北区海老江

2015年解体。敷石に大阪煉瓦の刻印があった。

明治30年4月
(1897)

近江麻絲紡織株式会社工場

滋賀県大津市

大林組

大林組70年略記

明治30年5月
(1897)

日本絹絲紡績株式会社工場

兵庫県

大林組

大林組70年略記

明治30年6月
(1897)

大和紡績工場

奈良県大和高田市

大林組

大林組70年略記

明治30年
(1897)

砲兵工廠建物(日鉄鋼機)

大阪市東区杉山町

煉瓦造1階建 1980頃現存

『日本近代建築総覧』p.278

明治30年
(1897)

近藤マッチ工場

東大阪市稲田

市指定文化財 現存せず?

『日本近代建築総覧』p.322

明治31年
(1898)

無鄰菴洋館

京都市左京区南禅寺福地町

煉瓦造2階

『日本近代建築総覧』p.291

明治31年
(1898)

京都大学附属図書館庫

京都市左京区吉田本町

煉瓦造1階

『日本近代建築総覧』p.294

明治31年
(1898)~
明治32年
(1899)

京都大学旧物理学及数学教室

京都市左京区吉田本町

煉瓦造2階 山本治兵衛設計

『日本近代建築総覧』p.294

明治31年
(1898)

平安女学院 聖アグネス教会会堂

京都市下京区下立売通烏丸通丸太町上ル

煉瓦造1階 ハンセル設計? 現存

『日本近代建築総覧』p.286

明治31年2月
(1898)
/明治31年2月
(1898)

大阪株式取引所

大阪市北区海老江

木造平屋、昇降口2個所は煉瓦・花崗岩で積立。田中豊輔設計。

明治工業史建築編p.723

明治31年上半期
(1898)

三菱倉庫株式会社 今出在家倉庫

神戸市中央区今出在家

倉庫10棟、784坪新築

『三菱倉庫百年史』p.45

明治31年8月
(1898)

大阪築港事務所

大阪市

木造平屋、昇降口2個所は煉瓦・花崗岩で積立。田中豊輔設計。

『時・人・大林』p.40

明治31年
(1898)

神戸元居留地百番ウインケレル社

M31.12.20 大阪窯業が50万個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治31年
(1898)

日本毛織加古川工場

加古川市加古川町本町

工場建物、壁など 大半が解体喪失

『日本近代建築総覧』p.339

明治32年
(1898)

大阪舎密工業株式会社

M31.6 大阪窯業が128万3千個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治32年
(1898)

神戸元居留地96番エス・ストラウス社

M32.9.1 大阪窯業が東京形101万280個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治32年
(1899)

兵庫県庁

兵庫県神戸市

M32.12.20 大阪窯業が東京形30万個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治32年
(1899)

大阪工業学校

大阪市

M32.7 請負者大林芳五郎へ東京形5万個納入 M34にも10万個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治32年
(1898)

旧汽車製造合資会社工場

煉瓦造2階 井上工一

川崎重工大阪工場 1980頃現存

『日本近代建築総覧』p.316

明治33年
(1900)

旧村井商会工場(旧京都専売局?=M28)

京都市東山区渋谷通東大路西入上新シ町

『日本近代建築総覧』p.298

明治33年
(1900)

三平株式会社

M33.11 大阪窯業が並型32万2千個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治33年
(1900)

住友本店

M33.8 大阪窯業が並型40万個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治33年
(1900)

日本紡績株式会社

M33.8. 大阪窯業が東京形141万5千個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治33年
(1900)

大阪控訴院

大阪市北区

設計・河合浩蔵。煉瓦不足でやりくりの記事。M42キタの大火で焼失・再建

『大阪百年史』p.1048

明治33年
(1900)

大阪電話交換局

大阪市

M33.12.19、大阪窯業が東京形2万個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治33年
(1900)

神戸地方裁判所

神戸市

M33.12.24 大阪窯業が異形煉瓦ほか2万7千万個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治33年
(1900)

三菱銀行神戸支店

神戸市生田区相生町1-10

石・煉瓦造3階 曾禰達蔵設計 

『日本近代建築総覧』p.331

明治33年
(1900)

(当時)是則運送倉庫

神戸市

煉瓦造平屋建 戦災復旧 

日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.12

明治33年
(1900)

和歌山郵便電信局

和歌山市

M33.12. 大阪窯業が請負人西松健次郎に10万個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治33年
(1900)

日本貯蓄銀行

M33.8. 大阪窯業が東京形80万個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治33年
(1900)

日本生命保険株式会社

大阪市北浜

M33.5 大阪窯業が異形煉瓦ほか258万8500個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)JA

明治33年
(1900)(35?)

京都大学工・電気工学教室本館

京都市左京区吉田本町

煉瓦造2階 山本治兵衛設計 玄関部分のみ保存

『日本近代建築総覧』p.294

明治33年
(1900)

尼崎紡績会社本社

京都市左京区吉田本町

煉瓦造2階 現ユニチカ記念館

『日本近代建築総覧』p.336

明治34年
(1901)

大阪水道事務所(建物?)

大阪市

M34.4、大阪窯業が東京形20万個納入

大阪窯業経歴書(『堺史料類纂 工業 中』所収)

明治34年
(1901)

百三十銀行(安田銀行、富士銀行大阪支店)

大阪市東区高麗橋3

1961年頃現存 

日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.8

明治34年
(1901)

造幣局 分銅場、第二分銅場、汽缶室

大阪市

1961年頃現存 煉瓦造、洋式トラス オランダ積、223×106×53

日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.2

明治35年
(1902)

京都大学医・生理学教室本館(旧医・生理学教室研究室)

京都市左京区吉田橘町

煉瓦造2階 山本治兵衛設計 寄棟・日本瓦 現存せず?

『日本近代建築総覧』p.296

明治35年
(1902)

大阪駅

大阪市北区

設計・吉井茂則。

『大阪百年史』p.1048

明治35年3月
(1902)

中京郵便局本館

京都市中京区三条通東洞院東入ル

安藤組 ファザード保存 日本煉瓦製造の化粧煉瓦を使用(関西地域で関東の煉瓦使用は極めて稀)

『日本近代建築総覧』p.289

明治35年
(1902)

兵庫県南庁舎(旧兵庫県庁舎)

神戸市生田区下山手通4

山口半六設計 煉瓦造2階

『日本近代建築総覧』p.289

明治36年
(1903)

京都府立病院本館

京都市広河原町通広小路

煉瓦及石 2階 1961年頃現存

日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.8

明治36年
(1903)

尊攘堂

京都市左京区吉田本町

煉瓦造1階 スタッコ、寄棟、日本瓦、S14に移築 現存

『日本近代建築総覧』p.294

明治36年
(1903)

舞鶴倉庫(旧海軍糧秣・被服倉庫)

舞鶴市北吸

煉瓦造2階 現存

『日本近代建築総覧』p.294

明治37年
(1904)

京都府庁

京都市下京区

設計・松室重光 石及煉瓦2階

日本建築学会近畿支部建築士分科会・明治建築研究会編『現存する明治洋風建築-近畿編-』p.8

明治37年
(1904)

北浜銀行

大阪市北区

設計・鈴木禎次。

『大阪百年史』p.1048

明治37年
(1904)

京都大学附属図書館庫

京都市左京区吉田本町

煉瓦造3階 山本治兵衛設計 スタッコ、日本瓦 現存せず?

『日本近代建築総覧』p.294

明治37年
(1904)

京都大学旧理工・機械教室工作加工研究室

京都市左京区吉田本町

煉瓦造1階 永瀬狂三設計 切妻・スレート 現存せず?

『日本近代建築総覧』p.294

明治37年
(1904)

大日本製薬倉庫

大阪市北区東天満

煉瓦造1階 現存せず

『日本近代建築総覧』p.305

明治37年2月10日
(1904)

市立王子図書館分館(旧関西学院チャペル)

神戸市灘区王子町3

煉瓦造1階 現存せず

『日本近代建築総覧』p.327

明治37年
(1904)

神戸地方及区裁判所

神戸市生田区橘通1

煉瓦造3階

『日本近代建築総覧』p.327

明治38年
(1905)

大阪商船会社

大阪市北区

設計・河合浩蔵。

『大阪百年史』p.1048

明治38年
(1905)

大阪府立図書館

大阪市北区

設計・野口孫市。外面は花崗岩造、裏積みに煉瓦。

『大阪百年史』p.1048

明治38年頃
(1905)

旧ジャーディン・マセソン商会

神戸市生田区京町83

A.N.ハンセル設計

『日本近代建築総覧』p.329