岸和田煉瓦(第一煉瓦製造会社→)
大阪府下では最も歴史が古く、また後年まで製造を行なっていた煉瓦製造会社。
はじめ士族授産の目的で煉瓦製造が企図され(旧岸和田藩主・岡部長職の発案、藩士・山岡尹方が実行)、明治5年9月から製造を開始。旧藩練兵場廃跡を利用して丸窯三個を築造した(以上『大阪府誌』)。事業は洋風建築ブームに乗って成長したが、明治10年代後半には同業他社に圧されて不調となり、事業は瓦製造会社に売却されたという(同志社大HP。元出典は『流木』第三号 S15. 3. 15 落合保著)。また岸和田の町は明治16年には夏の旱魃、18年には梅雨期の大洪水と連続して天災に見舞われ市民は困窮を極めた(『岸和田煉瓦20週年記念誌』)。なお山岡尹方は明治15年に受洗しキリスト教者となっている。また時期は不明だが(第一煉化成立前に)道古久米三郎という人物の協力のもと煉瓦製造工場の再建を図ったが失敗に終わったということがM34『大阪府誌』にある。
(この時期に刈谷士族工場との間で技術交流があったことが、大野一造『迎喜寿我足跡』にある。岸和田煉瓦で採用されていた改良登り窯を移植したという。詳しくは刈谷士族工場カテゴリ参照)
そのような状況に手を差し伸べたのが岸和田市きっての実業家・寺田甚與茂だった。寺田は金納源十郎ほか数氏と謀り、救民目的で煉瓦製造会社の設立を計画。明治20年7月には資本金25000円の第一煉瓦製造会社が誕生した。
朝日新聞M20.6.30. 4面 第一煉瓦広告
朝日新聞明治20年6月30日号に第一煉瓦会社の広告あり。この時から「×」印の社章を用いていたことがわかる。この「×」印はクリスチャンだった山岡尹方にちなむものという説明が通説となっているが、創業時のメンバーに山岡はいず、翌年乞われて社長となっている(前掲同志社大HP。寺田甚与茂の評伝『小伝寺田甚与茂』では山岡と協力して第一煉瓦を立ち上げたと書かれる)。なお「第一煉瓦」という名称の由来があったはずだがソースを失念した。府下で最初の煉瓦専業会社だったから、だったような記憶がある。
明治23年には資本金を35000円に増資し貝塚分工場を開設したが、26年には14000円に減資のうえ同分工場を売却した (『岸和田煉瓦20周年記念誌』)。M23の金融恐慌を発端とする経済停滞に影響を受けたようで、24、25両年の業績は極端に悪く、無配当となっている(『30周年記念誌』グラフ)。この時の貝塚工場が後の貝塚煉瓦となったと思われる。また明治20年代を通して山陽鉄道や日本土木会社と大口取引があり(大井祥之,岡田昌彰「岸和田煉瓦の生産と煉瓦供給に関する史的研究」、土木学会土木史講演集、2013)、M22着工・M24竣工の船坂トンネル周辺でも×印の刻印入り山陽形煉瓦を見ることができる。第一煉瓦時代の製品と確実に言うことができる数少ない例である。
明治26年11月の商法改正に伴い株式会社化(日付は『30周年誌』)。この時に岸和田煉瓦株式会社と改名したが社章は×印を継承した。『日本煉瓦史の研究』掲載の会社定款にも社章を定めた条が見える。
その後は経営も安定し、明治28年には資本金42000円・第一環窯を創設、明治29年50000円、第二環窯創設、明治35年100000円、第三環窯創設と拡張を続けた。明治36年5月8日には「×」印を商標登録(『日本登録商標大全』上巻)。同志社大ジェームス館、大阪府江之子島庁舎などで見つかっている「標×商」印、これに類似する「岸×泉」印もこの前後に使用され始めたものと思われる。
明治38年には第4環窯を創設 、翌年には米国チャンバースブラザーズ社製の成形機械を導入。この機械は捏練から切断まですべて自動で行えるもので斯界の注目を浴びた。
米国チャンバースブラザース社製煉瓦製造機 『岸和田煉瓦20週年記念誌』より引用・加工
チャンバースブラザース社製の機械は大きなホイール状の切断機が回転し、押し出された煉瓦を連続的に切断していく。切断線は小口から小口に渡って円弧を描くようにして動くので平に特徴的な擦過痕がつく。この擦過痕の観察によって同社製品と特定することができる(例:大阪市北区豊崎6丁目転石)。その後も同型の機械が相次いで導入され、大正9年ころには捏土機3台・切断機6台の製造機械が稼働していた。
使用30 職500 坪6万余り
汽罐コルニシュ 1 ランカシャー3 計475 ラストンプロクター会社製
汽機 連成複式筒横置き式 ラストンプロクター会社製
発電機1 5・1/2 点灯用 GE会社製
輪環窯7 カッセル2 自動捏土機3 自動粘土粗砕機2 自動煉瓦横切切断機 3 自動煉瓦切断機3台 以上フィラデルフィアチャンバース社製
(『日本工業要鑑. 大正9 〔下〕年度用(第10版)』
その一方、大阪窯業が採用したような押切形の擦過痕をもつ岸和田煉瓦製品もある(泉南市樽井路傍花壇。JISサイズのため戦後の製品と思われる)。
p>大正4年専務取締役辞任のため寺田甚與茂社長、金納源一専務取締役。
(以下続く)
「 岸和田煉瓦」カテゴリーアーカイブ
岸和田煉瓦@阿南市津乃峰町長浜
岸和田煉瓦@阿南市見能林町念仏免
岸和田煉瓦@大阪市北区中津2丁目5
岸和田煉瓦 カナ添印@洲本紡績跡
岸和田煉瓦 添印”ロ”@金田暗渠北方
岸和田煉瓦@金田暗渠
岸和田煉瓦 撥型異形”E”○T@石部トンネル瓦礫
岸和田煉瓦 機械成形@東淀川区淡路3
[Sec]岸和田煉瓦 夷川発電所付近歩道舗石 断面
[Sec]岸和田煉瓦 手成形
岸和田煉瓦 ”|×|” on 手成形@神戸市中央区神仙寺通2-1
朝日新聞 M21.6.23 4面/貝塚の煉瓦工場売却広告
朝日新聞 M19.7.14/道古久米三郎工場広告(第一煉瓦製造前駆体)
大阪毎日新聞 M43.5.17/関西煉瓦製造業の黎明期
T2.2/『大日本窯業協会雑誌』大正初期の大阪府煉瓦業
M44/第十回関西府県連合共進会出品の審査報告
朝日新聞東京版 M29.4.15 6面/明治29年大阪府下煉瓦製造業
朝日新聞 M21.5.2 4面/明治21年大阪府下煉瓦製造業
M36.4/大阪府誌 第一章 重要工産物 第十五節 煉瓦
M36.1.25/ 『大阪府工業概覧』(M36頃の大阪府の煉瓦工場)
M33.4./本邦ニ於ケル信用スベキ煉瓦製造会社ノ名称並所在地在シヤトル分館主任ヨリ問合ノ件
岸和田煉瓦@明石市魚住町中尾
堺煉瓦、岸和田煉瓦@明石市魚住町浜谷
[Sec]岸和田煉瓦 手成形 漢数字添印
[Sec]第一煉瓦製造?@琵琶湖疏水第三隧道呑口近傍
岸和田煉瓦@田尻町吉見
岸和田煉瓦@神戸市兵庫区雪御所町14
岸和田煉瓦@神戸市兵庫区千鳥町2
岸和田煉瓦@神戸市兵庫区石井町6
岸和田煉瓦@此花区伝法5
岸和田煉瓦@此花区伝法5
岸和田煉瓦@此花区伝法5
岸和田煉瓦@此花区伝法5
岸和田煉瓦(第一煉瓦会社)@初代船坂隧道近傍
岸和田煉瓦@船坂隧道作業場
岸和田煉瓦 掻き目@船坂水路橋
岸和田煉瓦@忠岡町忠岡中2
岸和田煉瓦with掻き目@忠岡町忠岡中2
岸和田煉瓦@岸和田市春木大小路町8
岸和田煉瓦@岸和田市春木本町19
岸和田煉瓦@堺市西区山田2
岸和田煉瓦@和泉市上代町
岸和田煉瓦@東大阪市長田2
岸和田煉瓦@長田区駒ケ林町5
岸和田煉瓦@長田区久保町3
岸和田煉瓦@長田区浜添通4
岸和田煉瓦with掻き目@長田区浜添通2
岸和田煉瓦@兵庫区小松通2
岸和田煉瓦@兵庫区和田宮通3
岸和田煉瓦 添印”ニ”@長田区駒ケ林町6
岸和田煉瓦@長田区本庄町8
岸和田煉瓦@須磨区戸政町4
岸和田煉瓦@須磨区北町1
岸和田煉瓦@垂水区西舞子3
岸和田煉瓦@垂水区西舞子3
岸和田煉瓦@垂水区西舞子1
岸和田煉瓦?@稲荷駅ランプ小屋
岸和田煉瓦@岬町孝子
岸和田煉瓦 添印”○”@宇治駐屯地外来宿舎駐輪場敷石
岸和田煉瓦with掻き目@宇治駐屯地電計課花壇縁石
岸和田煉瓦with掻き目@宇治駐屯地彰古館前花壇縁石
岸和田煉瓦@宇治駐屯地彰古館前花壇縁石
岸和田煉瓦with掻き目@宇治駐屯地彰古館前花壇縁石
岸和田煉瓦@テラボウ(株)壁
岸和田煉瓦”+-”@宇治市五ケ庄三番割12
岸和田煉瓦”-×-”@東大阪市稲田上町1
岸和田煉瓦”+・”@東大阪市稲田上町1
岸和田煉瓦”|+|”@城東区新喜多東1
岸和田煉瓦@城東区新喜多東1
岸和田煉瓦@城東区鴫野東2
岸和田煉瓦@大東市灰塚
岸和田煉瓦@守口市竜田通1
岸和田煉瓦@守口市竜田通1
”「十”刻印?@旭区今市1
岸和田煉瓦 機械成形@旭区今市2(京阪電鉄鉄道初代線橋台?)
岸和田煉瓦@旭区今市2
岸和田煉瓦@旭区今市2
岸和田煉瓦 添印”ヲ”@旭区清水3
岸和田煉瓦@旭区清水3
岸和田煉瓦@旭区千林1
線描”×”?@35.033029, 135.732705
岸和田煉瓦@大東市新町16
三ツ矢@大阪市鶴見区横堤
岸和田煉瓦@東大阪市稲田本町3
岸和田煉瓦@別子銅山旧別子醸造所跡
[FS]岸和田煉瓦岸和田本工場
岸和田煉瓦@東成区大今里3
岸和田煉瓦(小)@東成区大今里3
岸和田煉瓦(大)@東成区大今里3
岸和田煉瓦・大阪窯業@東成区大今里3
堺煉瓦@東成区中本大今里西1
大阪窯業・岸和田煉瓦@東成区中本4
岸和田煉瓦@八尾市萱振町4
岸和田煉瓦@八尾市末広町1
岸和田煉瓦@八尾市植松町5
岸和田煉瓦@姫路市飾磨区玉地
岸和田煉瓦@姫路市飾磨区玉地
岸和田煉瓦@姫路市飾磨区玉地
岸和田煉瓦@姫路市飾磨区宮
岸和田煉瓦(細十字)@姫路市飾磨区宮・浅田化学工業壁
岸和田煉瓦 機械成形(押切形)@泉南市樽井
岸和田煉瓦@四條畷市南野6
岸和田煉瓦@四條畷市清滝
岸和田煉瓦(三連)@四條畷市中野
岸和田煉瓦(壁)@四條畷市中野3
岸和田煉瓦(壁)@四條畷市中野3
岸和田煉瓦@平野区平野市町3
岸和田煉瓦@東大阪市菱江1
岸和田煉瓦(大)@東大阪市菱江1
岸和田煉瓦@東大阪市岩田町5
岸和田煉瓦@東大阪市岩田町4
岸和田煉瓦@第二和知川橋梁
岸和田煉瓦@山陰本線下の郷川橋梁
岸和田煉瓦 on 機械成形(米国型)@岸和田市堺町5
岸和田煉瓦 on 機械成形(米国型)@岸和田市堺町4
岸和田煉瓦?添印?”三”@岸和田市北町4
岸和田煉瓦@生石山第1砲台
岸和田煉瓦(焼過)@友ヶ島第2砲台
岸和田煉瓦 手成形@和歌山市中之島
岸和田煉瓦 手成形@和歌山市中之島
岸和田煉瓦 手成形 小型@和歌山市中之島
岸和田煉瓦 ×| on 機械成形@高槻市富田町4
岸和田煉瓦 ||×|| on 機械成形@高槻市芥川3
岸和田煉瓦 on 角丸異形@泉大津市若宮町8
岸和田煉瓦 機械成形@泉大津市東港町2
岸和田煉瓦@泉大津市菅原町2
岸和田煉瓦@高石市千代田1
大阪窯業・岸和田煉瓦@高師浜3
岸和田煉瓦@阪堺大和川橋梁北側の小橋梁 on 機械成形
岸和田煉瓦@吹田市内本町1
岸和田煉瓦 機械整形(連続切出機痕)@豊崎6丁目
岸和田煉瓦 機械整形 社章のみ@東淀川区南方
岸和田煉瓦?@尼崎市尼信記念館
岸和田煉瓦(細十字)@尼崎市長洲本通3
岸和田煉瓦 ×- on 機械成形@尼崎市長洲西通
岸和田煉瓦@箕面市桜井住宅地
岸和田煉瓦+漢数字添印@中桜塚2丁目
岸和田煉瓦@湯浅町布袋湯
岸和田煉瓦@湯浅町
岸和田煉瓦@湯浅町甚風呂
○+“ト”?(岸和田煉瓦?)@環状線淀川橋梁(旧・新)
岸和田煉瓦(大×)@王寺町久度二丁目
岸和田煉瓦 添印ウ@西宮市松原神社
岸和田煉瓦@西宮市泉町
岸和田煉瓦@山中トンネル
岸和田煉瓦@山中トンネル
岸和田煉瓦 焼損
岸和田煉瓦 |×|on 機械成形@堺市深井沢町
岸和田煉瓦 添印「ウ」@阪大中之島センター
岸和田煉瓦@泉佐野市春日町
岸和田煉瓦@和歌山市新生町 イズミヤ駐車場
岸和田煉瓦 岸×泉@和歌山市新生町 イズミヤ駐車場
岸和田煉瓦@奈良教育大学糧秣庫
岸和田煉瓦@奈良教育大学
岸和田煉瓦@大阪市西九条
岸和田煉瓦@片町線上戸川橋梁橋台
岸和田煉瓦@加茂駅転車台遺構
岸和田煉瓦@港区築港
岸和田煉瓦 on 機械成形 @港区築港
岸和田煉瓦 ×+@中央区上本町西
岸和田煉瓦@淀川区三国本町
岸和田煉瓦@淀川区三津屋北
岸和田煉瓦 縦横添印@中崎町
岸和田煉瓦@毛馬桜之宮公園
岸和田煉瓦 細@高槻市
岸和田煉瓦@貞徳社壁
岸和田煉瓦機械成形「|×|」
岸和田煉瓦@大阪城址
岸和田煉瓦 細@明石市魚住町
岸和田煉瓦@神戸市中央区筒井町
岸和田煉瓦@神戸市中央区熊内橋通
岸和田煉瓦@雲中小学校
岸和田煉瓦@深山第一砲台交通路脇転石
岸和田煉瓦@友ヶ島第一砲台
岸和田煉瓦@友ヶ島第二砲台
ウ@姫路市立美術館
イ@姫路市立美術館
岸和田煉瓦@姫路市立美術館
岸和田煉瓦@南海紀ノ川橋梁下り線橋台
岸和田煉瓦@和歌山市(和歌山倉庫近傍転石)
岸和田煉瓦@中津
岸和田煉瓦@大阪狭山市