抱き沢瀉印(水野煉瓦工場?)
愛知県下では碧海郡の工場所在地付近(例:碧南市新川町5、刈谷市司町3)、滋賀県下では湖東線沿線で散見される刻印。また同形刻印が愛岐トンネル群でも見つかっている。
いずれの印も非常に繊細な線で刻まれ、そのせいで潰れ気味であることが多いが、彦根市金沢町の転石のお陰で抱き沢瀉の家紋を刻んだものだと判明した。この刻印には漢数字十六が添えられ、オモダカの蕊を表す◯形まできれいに表現されている。
転石で検出したものはいずれも3インチ厚で、また金沢町の煉瓦はその近傍の宇曽川橋梁(明治22年2月竣工、明治34年12月複線開業)の改築瓦礫とみられることから明治中後期の製品であるのは間違いない。金沢町のものも複線化時橋台・橋脚から出胎したものだろう(金沢町では西尾士族生産所の”イー”異形煉瓦に湖東組の丙1・丙4、堺煉瓦の肉厚煉瓦も見られ、新旧構造物の瓦礫が混在しているようである)。