”短破線”刻印
破線刻印は畿内各所で様々なパターンが見られるが、なかでも阪鶴鉄道野田尾トンネルの近辺で検出されるものは幅のある歯車を転がしてつけたような短破線が特徴的。同トンネルが建設された頃(明治31年前後)は各地に新工場が乱立した頃で、どこの製品ともアテがつかないが、仮にこの形状が手がかりになるとすれば、その分布範囲から該当工場を絞り込めるかも知れない。ただし野田尾トンネルではこの短破線刻印以外にも単純幾何学模様の刻印が数種見つかっており、必ずしも短破線だけではないことは考慮する必要がある。
柴島干潟で採取したものが興味深い。柴島干潟の瓦礫が上澱川橋梁改築に伴うものであれば明治34年頃製造となり阪鶴採用時期にも近い。上十三川橋梁複線部から出胎したとすればより近くなる(M31)。該煉瓦は奥田煉瓦”B”と共使いで、これは湖東線複線化の頃から採用されている。瀬田川橋梁下でも破線刻印の検出あり。