湖東組
明治16年に近江八幡の燃料商・中川長九郎が興した煉瓦工場。『滋賀県統計全書』等では19年10月創業ともされており、また明治25年頃までの営業が確認できる(明治16年頃は長浜~関ヶ原間の鉄道建設が進行中で、それに合わせて個人工場として創業したものを19年に会社化したものか)。その後休止期間を経て明治42年に中川煉瓦製造所として再出発した。
当初は関西地方では珍しい大形刻印を使用していた(赤れんが博物館収蔵品参照)。この刻印煉瓦は使用期間が短かかったのか市街地では未だ見つけられていない。
近江八幡市池田本町で見られる仁保川橋梁の9ft円形井筒用撥形異形煉瓦”E”には小口に「イ」の文字が打刻されており、同じものが現存する中川煉瓦のホフマン窯に使用されている。また明治22年3月竣工の前河原避溢橋には小口”ビ”印が見られ、12ft用撥形異形煉瓦”B”を示す形状指示印と考えられる。一連の異形煉瓦は湖東組時代の製品とみてよいだろう。