奈良監獄使用煉瓦刻印
明治41年(1908)に竣工した奈良監獄の建屋および壁に使用されている刻印。一辺3cmほどの四角にイロハを内包するもの、同程度の大きさの丸にイロハを内包するものの2種類があり、いずれも建設時に監獄囚人が製造したものとされている。
奈良監獄は周囲を煉瓦壁で囲まれているが、刻印が確認できるのは正門建屋の各所と正門付近の外壁、およびそれらの足元に敷かれた煉瓦だけで、それ以外の外壁部には見られない(監獄敷地内の建築物にも使われているはずだが未確認)。また外壁天辺には大型の異形煉瓦が用いられているがここにも刻印は使用されていない。建造順と刻印使用時期、あるいは外部工場の煉瓦の採用?のタイミングと関係があるかも知れない。
なお監獄で煉瓦を製造した例は枚挙に暇がなく、関東の小菅集治監はもとよりの話、関西地方でも堀川監獄、膳所監獄で煉瓦製造の受託受負をしていた記録がある(前者は原料土を差し入れして製造し製品を返却するというやり方。焼成まで行なったかどうかは定かでない〔東雲新聞明治22年5月9日広告〕。膳所監獄は疏水工事への納入実績もあったようで、他にも需要先が多く、焼成まで行なったように読める〔東雲新聞明治21年9月22日記事〕)。堺煉瓦は堺監獄の囚人を使役して製造していたし(『大阪府工業概覧』pp.181-182,M36.1)、明治22年に操業を停止した琵琶湖疏水蹴上工場は京都監獄がその設備を買い上げ同所の工場として製造を行なうことになっているとの新聞記事がある(大阪毎日M21.12.30.2面)。こうした囚人製造煉瓦は当時の主力事業であったのかも知れない。ただし監獄製造工場は工場通覧に掲載されたことがなく実態は不明であることが多い。
いずれにせよ、力を必要とする単調繰り返し作業は囚徒使役の仕事に向いていたようである。逆に言えば煉瓦製造はそのような労苦を伴う仕事であったことが窺い知れる。