琵琶湖疏水 ”疏+英数字”刻印(四角型)
第二隧道呑口ポータルの笠石、インクラインねじりまんぽ等、第一期琵琶湖疏水の構造物各種に見られる刻印。工事に際して山科区御陵に専属の煉瓦工場が設けられており、該刻印はその製品を示すものと考えられる。京都市営地下鉄御陵駅近くの「煉瓦工場跡碑」の足元には現地で出土した煉瓦がモニュメント的に使用されている。かつてはこの付近に焼損煉瓦を使用した畦?があり、”○+第壱”、”○+第二”刻印などが見られたという〔『日本煉瓦史の研究』p.94参照〕。現在一帯は再開発され煉瓦畦も失われている)。
左京区東瓦町で採取したものは”□+疏+15”刻印とともに”○+第壱”と見られる印が押されており、もとはこのように2種押されるものであったようだ。即ち疏水事務所の第一工場で製造されたことを示す印と作業者識別用の数字入り印とを併用して製造責任の所在をより正確に示していたと。疏水とは関係のないこの場所で見つかった理由ははっきりしないが、東瓦町や今熊野町には遅くても明治30年頃からいくつかの煉瓦製造所が興っているので、その関係で持ち込まれたものか(さらに以前は瓦窯陶業窯があったはず)。疏水工場煉瓦の剰余分120万個余りが市中に販売されたことは田辺朔郎『琵琶湖疏水誌』にも書かれている。ソースを失念したが同志社女子大ジェームス館の修築でも見つかっていなかったか。