漢数字(西尾士族工場識別印)
西尾市街で見られる漢数字印。異形煉瓦に形状指示とともに打刻されていることも多く、西尾士族生産所工場で使用されていた添印のひとつと見られる。文字自体はそれほどでもないが、印の台座が太いせいで深く彫れ込んでいることが多く、そのせいで太い書体のように見えてしまう。
東海道線の井筒用煉瓦では浜名湖橋梁にみられる”イー”、”デー”に使用されており、またこの異形煉瓦が西尾市街にも多く転じていることから比較的後年に使用された識別印と考えたい。ただ”□+漢数字”パターンの印とともに転じている例もあり(西尾市菅原町漢数字/□+漢数字)、また”□+漢数字”の”□”を取ったようなサイズ感のものもあって(西尾藩勘定場跡民家縁石)、明確に使用時期が分けられていたわけではないかも知れない。
東洋組岡崎分局があった岡崎市菅生町でも漢数字”七”が検出されたのは興味深い。岡崎分局でも煉瓦製造が試みられ、西尾分局から経験者が出向して煉瓦製造を教授したとされる。ただし同分局は土管製造を主業としていて、東洋組瓦解直後(明治18年中頃)には煉瓦焼窯も未改修のままで放置されていた(以上愛知県公文書より)。該煉瓦は3インチ形の肉厚普通煉瓦のため、その後に東海道線工事のために製造されたものか、窯改築のために西尾から運ばれてきたものと思われる。いずれにせよ東洋組瓦解後も製造は続けられたようで、明治25年にはこの近傍の土地に三工社という煉瓦土管製造工場も興っている。
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西尾士族生産所 ”三九”+”B” on 肉厚撥形異形煉瓦@武豊町里中
西尾士族工場”九”@木曽川橋梁第七橋脚(初代)瓦礫
漢数字”廿七”@野洲市永原
漢数字”七”@岡崎市菅生町
漢数字”四七” on 肉厚煉瓦@(甲)前田面橋梁跡転石
漢数字“三二”@西尾藩勘定場跡民家
”廿五”+”○”@西尾藩勘定場跡民家
漢数字”三七”@西尾市伊文町
漢数字”廿四”? on 肉厚煉瓦@西尾市菅原町
”A” on 肉厚扇形異形煉瓦@西尾市新屋敷町
”A+二十” on 肉厚扇形異形煉瓦@西尾市下町
西尾士族生産所 ”イー”+”三五” on 肉厚撥形異形煉瓦@彦根市金沢町
西尾士族生産所 ”テー”+”廿七”@石ヶ瀬川橋梁下流
西尾士族生産所 ”イー”+漢数字添印@石ヶ瀬川橋梁下流
9ft円形井筒用”テー”+”十一”@湊堀橋梁
漢数字”四二”?on 肉厚扇形異形煉瓦@近江八幡市池田本町
“三二”@西尾市伊文町
”イー”+漢数字 on 扇形異形煉瓦@西尾市伊文町
”デー”+漢数字 on 扇形異形煉瓦@西尾市伊文町
”イー”+漢数字@第一浜名橋梁舞阪方初代井筒
”イー”+”四九”@第一浜名橋梁弁天島側初代橋脚井筒