樽井煉瓦

現泉南市樽井に明治30年に創業し、終戦直前まで長年煉瓦を製造し続けた工場。文献の時期によって工場主や工場名が転々と変わる(M40初頭は市川半三郎所有の市川煉瓦工場、大正5年頃には中井栄次郎所有の樽井煉瓦製造所、大正7年頃から矢代増吉所有となって以降廃業まで樽井煉瓦製造所あるいは矢代煉瓦製造所と名乗っていたようだ)。また大正期以降は合資会社の形態であったようで「TARUI GO.」という標記の煉瓦が見つかっている。

矢代氏の時代には化粧煉瓦やタイルの製造に力を入れていたらしく、かつて工場所在地の片隅に残っていた旧宅には色とりどりの化粧煉瓦が用いられていた。また府下工場では珍しくプレス成形を採用し端整方正な製品を残している。

刻印のタイプも実に様々。ここに掲げたものは矢代氏時代に社章として用いていたマークを単体で押したものである(丸印刻印にもこの記号が見られる。社章出典は『大日本商工録 : 公認. 大正14年版』)。

なお同工場は瓦製造も行なっていたようで、泉南市鳴滝など近傍の在所ではこのマークの入った瓦を見ることがある。


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