桜+カナ、桜+漢数字

関東地方では小菅集治監製煉瓦の刻印として知られ、花弁の脈や蕊なども再現した写実的な印影が特徴的な桜型刻印。関西地方では五弁の桜型の輪郭に漢数字やカナを添えたものが散見される。内包する文字は作業者の識別印の意味があると思われ、そのような体裁の違いから関西地方の工場が採用していた刻印と推定される。

検出例はさほど多くないが、大阪市天王寺区の真田山陸軍墓地(区画の敷石に”桜+四”)、都島区毛馬桜之宮公園干潟採取の煉瓦(”桜+ツ”)などがある。旧日本銀行京都支店(現・京都府京都文化博物館)の地階、宇治駐屯地外来宿舎等には機械成形煉瓦に打刻したものが使われており、特に日銀京都支店は明治39年竣工であるから、この時期に関西地方で成形機械を導入していた工場の製品だとはわかるが、そのような工場は3社しかなかった(明治31年大阪窯業、明治38年岸和田煉瓦、明治39or40頃?堺煉瓦。うち岸和田煉瓦は米国製の特異な機械であり成形痕が異なるため除外できる。結局のところ大阪窯業か堺煉瓦かということになる)。また宇治駐屯地では時期的に採用されていておかしくない堺煉瓦の刻印がほとんど見られない。以上の状況から、桜刻印=堺煉瓦がM39・40頃一時的に使用していた刻印と仮定すると種々説明が透るように思われる。”桜+カナ”刻印の煉瓦は堺煉瓦特有の赤紫色・小豆色に発色した煉瓦に似ているようにも思われる(例:“桜+ラ” on 機械成形@東大阪市稲田上町1)。堺煉瓦の製品と見たいところだが、『工業之大日本』第4巻第1号(明治40年1月)産業時事コーナーに機械成形による素地製造工場を造成するためその敷地を買収中であると報じる記事がある(39年12月9日付の新聞記事の転載)。即ち39年末時点ではまだ機械成形を行なっていず、M39.6.の日銀京都支店の竣工には間に合っていない(翌年1月の同雑誌広告では機械成形を謳っている)。従って“桜+カナ”系の刻印煉瓦は大阪窯業の製品ということになる。

宇治駐屯地には桜形に「クス」と漢数字四を添えた刻印が見られる。堺市八木氏邸宅勝手口の梅鉢+クス+漢数字刻印とも繋がっていきそうな印である(八木市邸宅の煉瓦には桜形の小さな印が押されたものもあった)。


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