東亜煉瓦
広島県竹原市吉名町の煉瓦工場の一。昭和16年(1941)~40年(1965)と比較的遅くに操業していたためか、大阪府下にも比較的多数の製品が流入している(大阪市此花区西九条の大阪卸売市場に隣接する住宅地でこの煉瓦が敷石に使われている)。これは東亜煉瓦に限ったことではなく、戦前は泉州の煉瓦工場が大きな勢力を保っていたため輸出が阻まれていたものが戦後の煉瓦産業衰退によって敷居が下がり、かえって周辺地域の工場の製品がその穴を埋めるようにして採用されたという流れがあったものと思われる。また印形枠に菱形を使用するのは広島県下の煉瓦工場に多い特徴(他にも中国煉瓦などの例あり)。