東海道線構造物 カナ

静岡県石部トンネル前の無名暗渠(M21.10.竣工)、滋賀県東近江市鯉川橋梁(M21.7.)で検出されている刻印。カナ一文字の識別員だが京阪神地域で見られるカナ刻印とは異なる特徴がある。曰く径1cm弱の小型印であること、曰く細身のカナ文字であること。いずれも肉厚煉瓦に打刻されたものである(無名暗渠は平に、鯉川橋梁は小口に打刻)。そも旭商社のカナ印は明治20年代後半以降に使用されたと見られるため東海道線建設時期と一致しない。

市古工場のあった碧南市久沓で興味深い煉瓦を検出した。長手に市古製印と”ヘ”、小口に”○+F”を打刻した煉瓦の断片で、この”ヘ”のサイズ感や書体感は鯉川橋梁のものによく似ている。一連のカナ印のうちのいくつかは市古工場に帰結してよいのかも知れない。

このカナ印に限らず、東海道線開業時の構造物に見られる刻印は(異形煉瓦を除き)広範囲に亘って同系が見られる特徴があるようである。”○+英字“なども、静岡県半場川橋梁、滋賀県向川暗渠、加えて同時期に建設された直江津線坂口新田トンネルに使用されている。短期間に集中的に建設するため同一工場の製品を効率よく各地に分配していたか、余剰煉瓦を他の現場に回す手筈が整っていたのか。

それよりも、東海道線や直江津線、湖東線(そして後に北陸線となる米原~長浜間も)が中山道線建設用の起債を転用して建設されたこと―――同じ予算の中で建設されたこととの関係を考えるべきかも知れない。予算内で完工させるために煉瓦を余さず使い切ろうとした結果がこうなったのではないかということ。米原~長浜間には壁体を築くのに異形煉瓦を転用した橋梁が複数あるし、明治24年に改築された武豊線石ヶ瀬川橋梁でも規格外の異形煉瓦を転用していた節がある。円形井筒に普通煉瓦を混ぜて築いていた例もある(十一川橋梁)。

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