大阪煉瓦株式会社
大正6年10月に南河内郡狭山村池尻(現大阪狭山市狭山:さやまハーモニータウンの辺り)に開業。敷地西側を流れる川の土手に特徴的な刻印の入った焼損煉瓦を検出する。この記号はおそらく「大」の字を意匠化したもの。それほど多くはないが府下各所で散見される刻印である。
大正12年頃に役員が入れ替わり、津守煉瓦の関係者が役職に就いている。もともと津守煉瓦は同所字半田に素地製造の分工場を有しており、その関係で大阪煉瓦の買収に至ったものと想像される。事実ハーモニータウン近辺では六稜星刻印煉瓦の焼損煉瓦も見つかっているほか、大阪狭山市一帯でも六稜星刻印は優位に検出される(大阪煉瓦は昭和7年頃解散、林姓の人物の個人工場・狭山煉瓦として営業を続けた)。なお津守煉瓦本工場と狭山の工場は南海電鉄汐見橋線・高野線によって直結される位置関係にある。
津守煉瓦製造所
大阪府西成郡津守村番外98
創業 M30.4.
所主 林尚五郎 技師 山田正義 職工男女250 輪環窯2 素地製造工場23箇所
分工場 大阪府南河内町狭山村字半田
素地製造所 三十四ヶ所 職 300
販売部 主任 林十五郎
大阪煉瓦株式会社
大阪府南河内郡狭山村字池尻
各種煉瓦製造販売
創業 T6.10.
資本250000払100000
社長 高津卯三郎 佐貝萬治郎 取締役支配人 中村豊雄 監査役 青海忠二郎
大阪煉瓦株式会社
大阪府南河内郡狭山村字池尻
創業 T6.10.
資本150000払60000
取締役 林要五郎 林信一郎 林十五郎 取締役支配人 中村豊雄 監査役 山田正義