四日市煉瓦

明治20年6月に三重郡東阿倉川村(現四日市市)に創業し、三重県下の工場としては比較的安定的に長期に渡って煉瓦を製造した。三角形に「Y.B.」の文字を配した社章は『大日本商工録第1輯』に掲げられており、同形の刻印煉瓦が中央本線愛岐トンネル群(M33開業)や北陸本線旧線山中トンネル(M29竣工)などで見つかっている。後者には小判形に「と一」等の添印あり。

明治21年から22年にかけての官報に三重県下の工場景況が掲載されており、四日市煉瓦と勢陽組の動向を知ることができる。これを見ると四日市煉瓦は明治21年初頭から耐火煉瓦の製造を始め徐々にそちらへ軸足を移していこうとして断念した姿が見て取れる。その一方でM21.3に東海道線建設用の厚形煉瓦を受注し、少なくとも40万個余りを製造、同年6月頃?には納入したことがわかる。現時点では東海道線土木構造物に四日市煉瓦製品(”△Y.B”刻印煉瓦)は検出されておらず、あるいは創始の時期には”△Y.B”印を使用していなかった可能性も考えるべきかも知れない(隅立て井筒+三線印参照。これが最初期の刻印だった可能性がある)。

四日市煉化石

勢陽組

2月中も寒気厳しく製造を十分になす能わず 通常の2分の1の焼き上がり 普通煉化石257,926個、前月持越高を合わせ1,372,237個中126,500個を販売

製造高30,000個 総て東海道鉄道敷設用に売り渡す 職工延117人

官報 1888年03月15日

寒さ厳烈なるため十分製造を為す能わず 制作高312,973個 前月持ち越し高861,816個合計1,174,789個 うち売却60,478個引き渡し済み 残り1,115,311個 最良の耐火粘土を発見せるを以て事後盛んに耐火煉化石製造の計画をなし試験窯を築き専ら試験中

製造高30,000個 前月持ち越し高を合わせて販売高50,000個 この代価463円25銭 みな東海道鉄道敷設用に供す

官報 1888年04月25日

3月に至り寒気減少するが先月来持越白地の乏しいため未だ十分に焼き上げること能わず 且つ東海道鉄道用厚形煉瓦石を請負い之が製造に着手せしを以て普通品製造高は先月比著しく減少 製造高62,332個、前月持越高を合わせて1,308,069個このうち268,944個を販売 この他鉄道用厚煉化石は127,143個を製出

職工延べ108名 製造高30,000個、そのうち28,500個を東海道敷設用に売り渡す

官報 1888年05月09日

4月中主に東海道鉄道用厚形煉瓦を作り傍ら普通煉瓦石を製す 然れども雨天勝ちのため素地乾燥に差支え 製造高予定の半額にも及ばず 耐火煉化石は製造を創め3万余個を出せり 該品は原質強固なるがゆえに従来の窯にては完全の焼き上げを為す能わずゆえさらに1窯を新築する計画その構造に着手 同地は耐火粘土の原料に富むを以て不日新窯落成の上は毎月数万の炊き上げ東京その他の地方に販売する筈 製造高普通煉化石25,471個、前月越高を合わせて1,059,608個、そのうち372,221個を販売 厚形煉化石は202,270個、前月越高を合わせ329,413個、未販売

職工95人、製造高100,000個 そのうち98,750個を販売 販路は愛知県名古屋及び本県桑名地方

官報 1888年06月11日

販売上の都合により普通煉瓦の焼立てに注力 製造高241,437個、前月越高合わせて928,829個 このうち65,573個を売却 その他鉄道用煉瓦製造高100,708個 さきに築造に着手せし耐火煉瓦焼き窯は5月末に落成 不日焼立てをなすに至るべし

職工95名 製造高150,000個 うち148,000個を販売 販路愛知県下名古屋豊橋など

官報 1888年06月19日

6月中の事業はもっぱら普通煉化石の製造 製出高384,708個 前月越高を合わせて1,147,861個のうち484,860個を販売

製造高120,000万個 うち100,000個を売却 販路は鉄道局愛知県名古屋出張所、三河国豊橋など 職工毎日90人

官報 1888年08月27日

7月中注文減少と製品改良のため職工を減じ精工の者のみ選抜して製造を改めたため大いに出来高を減ず 耐火煉化石は4回の焼立てをなし2万個を出す 該製品製造は創始の際なれば未だ販売せず販路を東京に開き漸次拡張すべき見込みあるものとす 7月中普通煉化石製造高268,835個前月越高を合わせて931,836個のうち529,424個販売

製造高80.000個 前月越高をあわせ100,000個販売 職工毎日88 販路前月に同じ

官報 1888年08月28日

普通煉瓦製造の業を変更し専ら耐火煉瓦製造へ 8月中普通煉瓦製造高157,976個 鉄道用厚形煉瓦同40,236個、耐火煉瓦2万個

製造高75,000個 職工数、販路は前月に同じ

官報 1888年09月17日

9月中 製造高 普通煉化石製造高16万余個、耐火煉化石11,000余個 耐火煉化石は桑名郡猪飼村に産する石粉をもって製造 珪石分多量にして完全なる製品を得ざるによりさらに原質を採取して甲乙の原土を配合し横浜神戸等の内外商人に鑑定せしめたるに孰も好評を得随て購買者増加したるにより更に1窯を増設し事業拡張の計画中

製造高 9月中390,000個 職工数毎日91人

官報 1888年10月25日

普通煉化石139,090個耐火煉化石10,000個 前月に比すればすこぶる減少

製造高450,000個 職工毎日65人

官報 1888年12月14日

1月中は練土氷結し工事を為す能わず、製出高極めて少し普通煉化石95,835個 前月越高をあわせ19万7,173個を売却 耐火煉化石4,700個うち1,000個を売却
2月中も練土凍結し製造額減 普通煉化石44,836個、耐火煉化石9,350個
3月中余寒のため製造高僅少 普通煉化石91,286個、耐火煉化石8,922個

1月中 製造高70,000個、うち50,000個を売却 販路は鉄道局名古屋出張所および関西鉄道会社等 職工20
2月中は冬季休業及び事業改良のため製造販売共になし
3月中 製造高50,000個、職工15

官報 1889年07月04日

4月中普通煉瓦は窯数7、営業日数17日、毎日就業時間10時間 普通形製造高6万千個 薪消費高千2百貫目 輸出先は県内 職工男200人、女50人 耐火煉瓦窯数1 営業日数及び就業時間同上 普通形製造高1000個 形違440個 石炭消費高3千斤 輸出先県内及大阪 職工男42人
5月中営業日数13日 毎日就業時間11時 耐火形形違製造高450個 石炭消費高2千斤 職工男5十6人 普通煉化石製造は本月休業
6月中営業日数十6日 耐火製造高800個 薪焼日高2,500貫匁 輸出先は地廻り 職工男65人女3人 就業時間前月に同じ但し56両日とも窯数は4月に異ならず

従来勢陽組と称せしを改称
4月中窯数1、営業日数27日 毎日就業時間10時 普通形製造高50,000個 鉄道用形違同150,000個 薪消費高3,000貫目 輸出先は鉄道局及び名古屋 職工男35人、女15人
5月中営業日数30日 毎日就業時間12時 普通形製造高50,000個 石炭消費高35,000斤 輸出先は名古屋及四日市 職工数男40人 窯数は前月に同じ但し6月中は休業なり

官報 1889年08月24日

官報にはこれ以降も時折三重県工場景況が掲載され、例えば官報 明治27年01月27日号には両工場が掲載されている。四日市煉瓦よりも勢陽組(水谷工場)のほうが継続的に掲げられ、廃業直前まで関西鉄道に供給を続けていたこともわかる。また両工場とも上の景況報告から石炭消費量が記載されるようになり、この頃に石炭窯への改造がなされていた可能性がある。


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