和歌山煉化石
明治21年(1888)11月創業。大阪毎日新聞M22.10.27 4面に広告があり菱Wの社章が掲げられている。同型刻印が由良要塞生石山第二砲台、生石山弾薬支庫等で見つかっている(アーチ部に使われている段付きの楔形異形煉瓦に押されていることが多い。第二砲台海側には普通煉瓦に押されているものも転じている)。また菱W刻印には径1cmほどの小さな漢数字刻印が添えられていることが多い。これが作業者識別の印であるようだ。
『田中村郷土誌』によれば田中村窪(現紀の川市窪)に和歌山煉化石の工場があり、明治32年頃まで操業していたという(後半期には宇田氏の個人工場となる)。この場所は旧池田隧道の建設に際して煉瓦を焼いたとされる場所である。本社は和歌山市久保丁4。なお紀の川市窪には今でも煉瓦が転じているが”○サ”の刻印が入ったものが多い。菱W刻印は見つけられていない。