地元の方によれば元は陶器製造会社の附属建物で、かつては大きな煙突のある建屋もあったという。河本邸壁に見られる煉瓦刻印はこの建物には見られないが、焼き色や質に共通点が多く、中江工場製と想像される。何より注目すべきことは通りから見えない裏側壁に焼損煉瓦が用いられていること。近くに煉瓦工場があり、流通ルートに乗らない焼損煉瓦を大量に手に入れることができたものと思われ、中江煉瓦工場の製品という推測を傍証する。中江工場の稼働期間は明治40~大正元年。
中江工場製品?@豊岡市京町
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