- 明治28年3月11日
- 京都府葛野郡朱雀野村の吉居真忠が煉瓦製造業請負を請願。監獄所囚人を使役して煉瓦製造販売をしてきたが、民業として煉瓦製造を始めたく、囚人使役の継続と工場借受・不要物品の払下げを申請(明28-0005、132)。認可。
- 明治28年4月29日
- 京都煉瓦製造株式会社発起申請。7月20日認可。(館古552、52『京都煉瓦製造株式会社定款)
- 明治28年8月
- 京都煉瓦製造株式会社設立。社長:木村重忠、取締役:吉居眞忠、山中仙太郞。(M29日本全国諸会社役員録)。
- 明治28年9月30日
- 『協同煉瓦製造収支計算報告』(館古552、53)。製造員総代は木村重忠、吉居真忠、山中仙太郎、監査員松木安次郎、田中卯兵衛。
- 明治29年4月頃
- 馬堀に分工場が完成したが、需要を満たせないため大岡山麓に第二分工場建設を計画(
『大日本窯業協会雑誌』第4巻第46号)- 馬堀の分工場は京都鉄道の建設に当て込んだものだったが、地元との不和により地元民が南桑煉瓦を設立、これが京都鉄道との取引を一手に引き受けることになる。南桑煉瓦社長:山田理一郎。(『山田理一郎日記』『京都鉄道と南桑煉瓦』)
- 明治30年3月17日
- 京都府下煉瓦製造業組合の会合の席で京都製瓦・京都煉瓦製造の廃業が発表される(『山田理一郎日記』)。
- 明治31年初頭
- 役員が総入れ替えとなり、田中卯兵衛が社長に(『日本全国諸会社役員録』M31版)。
- 合資会社田中煉瓦製造所
- 栗太郡老上村大字矢橋に在り京都市下京区大仏南門通大和大路東入田中卯兵衛外二人の合資経営にて最初田中卯兵衛独力を以て同郡瀬田村大字大萱に於て設立せしを明治四十四年一月今の地に移転し大正二年二月更に合資会社の組織に改めたり資本金弐千円にして敷地総面積三千七百五十坪建物総坪数百四坪を有し輪環窯を以て盛に製出しつつあり最近一ヶ年産額百六十三万個此の価格一万五千四百八十五円なりとす
吉居真忠
明治11年 京都府 十等警部 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779270/181
明治22年乙5月 京都府 警部補九等 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779435/11
田中卯兵衛
M28 第4回内国勧業博覧会に瓦や煉瓦を出品。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801934/149
『滋賀県産業要覧』(大正3)
大阪窯業近江工場、中川煉瓦、田中煉瓦、水口の中川喜代松が主なる生産者。京近煉瓦株式会社を設立し同社に販売を委託。工場直接に他に販売するときは手数料を払って。
『京みやげ工芸と名勝』https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765656/190
交信資要 大正2年 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/901213/174
大仏南門通で瓦製造メイン
[CP]京都煉瓦製造関係者(田中卯兵衛)
https://bdb.kyudou.org/?p=10886