東洋組田原分局所在地の近傍、沢の底で採取。位置的に田原分局の施設に使われていたものと想像される。「分局」入の印は後期形か。田原分局はM17.3.開業、M18.5.時点で石灰焼窖(根敷三間八寸四方高さ三丈五尺)、水干器械(円形直径弐間半混和器械場)等、煉瓦造の施設があった(愛知県蔵公文書『貸下金決議留』75-3、25)。
乾燥すると白さが目立つ。確かに焼きは甘い。二枚目はまだ完全には乾いていない状態で撮影したもので、この状態では比較的ありがちな煉瓦色に見える。(4枚め左:太田川橋梁肉厚“へ”)
Yet another brick-seals database in KANSAI Dist.
東洋組田原分局所在地の近傍、沢の底で採取。位置的に田原分局の施設に使われていたものと想像される。「分局」入の印は後期形か。田原分局はM17.3.開業、M18.5.時点で石灰焼窖(根敷三間八寸四方高さ三丈五尺)、水干器械(円形直径弐間半混和器械場)等、煉瓦造の施設があった(愛知県蔵公文書『貸下金決議留』75-3、25)。
乾燥すると白さが目立つ。確かに焼きは甘い。二枚目はまだ完全には乾いていない状態で撮影したもので、この状態では比較的ありがちな煉瓦色に見える。(4枚め左:太田川橋梁肉厚“へ”)
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