『大阪商人太平記 明治維新編』造幣寮使用煉瓦

 建築に必要な煉瓦は外国からも持ってきたが、国内でも泉州堺に新しく炉を築いて製造したほか、広島でもつくった。これはいまの練瓦よりややダイダイ色で、なかなか美しかったという。またこの練瓦の製造がのちにこれらの地方で、窯業がさかんになった原因だといわれている。建築に用いた青意志は播州産で、この加工に必要な石工が不足したので、遠く岐阜地方からも集めたが、この青石はながく美しい古い味をたたえていた。しかし練瓦を積む者がいなかったので、左官につませるなど、西洋建築なんて初めてのことなので、人集めに苦労したらしい。

日本工業史 化学編』等では鴫野に窯を築いて焼かせたとされている。広島での製造は『造幣局百年史』p.21にもちらと触れられている(橙色=焼きが甘かったことがわかる)。なお呉鎮守府の建設では原口仲太郎が広島に出張して煉瓦製造を教授したという話がある。

https://bdb.kyudou.org/?p=8945

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