M36.4/大阪府誌 第一章 重要工産物 第十五節 煉瓦

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第十五節 煉瓦

府下に於て煉瓦製造の盛なるは古来和泉国を以て冠とす.今なお然り,抑,府下に於ける斯業の濫觴は明治二年造幣局並に大阪造兵司分工場等の建築起工に際し之れに充用する煉瓦製造の目的を以て企画経営したるに在りて,当時,内務省の所属として和泉国堺市住吉橋通二丁目旧函館館会所跡を利用し之れを事務所に充て,尚これに隣接せる民有地一万坪を買収し茲に初めて其の事業を開始し,当時,専,囚徒を使役し盛に製造せり.初工場を此の地に選定したる所以のものは其の原料粘土の良否を選択するに[あた]り和泉国泉北郡百舌鳥村の荘及び八田の荘は古来陶色と称せられ,後,僧行基も此の地の土を用いて良土器を製出せしより世に之れを行基焼と称し(行基の事は陶器の部に詳なり)当時頗賞玩せられきと云うに基づき,該地方の土塊を採り之れを試験せしにその結果果たして煉瓦の原料として稍良効なるを以って遂に此の地に工場を設置するに至りしものなり.是れより其の附近に置いて斯業を計画するもの陸瑣相踵ぎ,遂に斯業をして独,和泉国に盛ならしむるに至れり.而してその率先して創始したるものは丹治利右衛門,山岡尹方等にして,丹治利右衛門は明治三年同市寺地町三丁目引接寺内の廃跡に於いて工場を建設せり.是れ今日の丹治煉瓦工場にして,実に府下に於ける民設経営として斯業の嚆矢なりとす.氏はもと瓦製造業にして,其の創始は霊元天皇の貞享二年なりと云う.次いで明治五年旧岸和田藩士山岡尹方同地の旧藩練兵場廃跡を利用して丸窯三個を築造し,専,旧藩士族の恒産なき子弟を募り授産の目的を以って業を起し,同年九月に至りて創業せり当時,同業者の数いいまだ多からざるに需要頻繁なりしを以って一時盛況を呈し,しかのみならず当初の画策能く其の目的を全うし,同地の士族中或いは生計の窮境に彷徨せずして漸次に各自の産業に就きしに至りし者其の力与りて多きにありと云うべし.而して煉瓦の需用は日に突きに増進し事業は益々盛大に趨きて前途有望なりしが,後十数年を出でずして起業者各所に勃興し,遂に供給は需用に超過し漸次衰運の傾向を顕し,爾来,不振の域に沈[氵+侖]し苦心惨憺[つい]に其の命脈を維持するに過ぎず,偶々道古久米三郎といえるもの斯業を賛助し,製法の改良販路の拡張等講究怠らざりしが而もいまだ十分の復活を見るに至らざりき.然るに明治二十年に至りて寺田甚與茂外数人の協賛を得て株式組織に改め,大いに事業を伸張するを得たり.是れ即,今の岸和田煉瓦株式会社にして爾来頗経営に努めついで旧式の窯を廃し更に独逸式ホーフマン窯に改めて大いに製法を革新せり.蓋,和泉国に於いて洋式即環輪窯に改築したるは実に之れを以って嚆矢とす.是より先明治六年原口仲太郎といえるもの既記官設経営に属する地所及び建物の払下を受けて其の事業を継承し,鋭意製法の改良販路の伸暢事業の拡張に努めき.当時,需用の重なるものは造幣局をはじめ各府県庁舎の建設等にして,次いで神戸大阪間鉄道布設及び東京市銀座市街の改築其の他各地鉱山等の工事踵を接して起り,一時に多数の煉瓦を要するを以って供給頻繁を極め,前途非常に有望なりしを以って同業者また各所に勃興し,爾来産額また大いに増加し遂に府下に於ける他の重要工産品を凌駕せんとするの形勢なりき.抑,斯業は是れより先孝明天皇の安政四年に幕府肥前国長崎の瓦屋某に命じて煉瓦を製造し之れを同所飽浦に築造する所の製鉄所用に供せしめき,当時之れを監督せしものは和蘭人ハルデスにして,之れを本邦に於ける斯業の嚆矢なりとすと云う.其の後,徳川家定海外各国と通商互市のため開港定約締結の端を啓発し,遂に同六年武蔵の横浜等を貿易港として開港せり.以来,其の地を区画し居留地と称して外人の住居を許ししより外人の移住するもの歳と共に増加し,其の家屋は多く各自国の構造法に随い石又は煉瓦を以って築造し,時人之れを洋館または煉瓦造と称せり.本邦に於いて家屋を造るに或いは本邦の建築に擬し或いは和洋折衷の構造を為すに至りしもの皆之れに倣いしものにして爾来此の風漸次増加し,殊に明治の御代に移り其の築造益々流行し現に宮城皇室をはじめ各皇族の第宅諸官衙等悉洋風の構造に改築せらるるに至り,是れより建築法殆一変し諸会社銀行其の他公共の建造物をはじめ紳士豪商の屋舎に至るまで或いは大概洋風に変化し或いは和洋折衷の構造となり,煉瓦の需用益々増加して斯業は逐年著しき盛運を致し随いて斯業を経営する者一層各所に続出せり.然れども当時,製造の技いまだ精巧ならず,製品の形状品質共に佳良なるもの甚尠なく,府下に於いても往往粗製の謗を免かれざりしが,爾来,鋭意或いは製法の術を研鑽し或いは窯の構造を変更し,又,洋式窯を築き以って熱心品質の改善を講究したるが為,遂に能く猛烈なる火勢に耐うる良品を製出するに至れり.是れ府下煉瓦の名声の世に普及したる所以にして,益々歓迎せられて事業は着々伸張の盛運に趨き遂に府下工産品中重要品の一に数えらるるに至り明治二十一年の比には其の製造所已に十数箇所の多きに及ぶに至れり.以って其の如何に盛況なりしかを知るべし.然るに明治二十三年に至り一般工業は不振の域に沈[氵+侖]し,為に工場の新設企業の設備等は皆無の姿にして,斯業茲に其の影響を被り需用また減縮するの傾向を顕し,加うるに明治二十四五年の頃は経済界の同様常なく商工業は共に至難の極に達して斯業の販路殆[閉]塞し,創業以来の盛況は茲に全く反対の姿勢を顕して益々衰運に趨くの傾向なるを以って,或いは転業若くは廃止するもの多く工場数も僅に五六個を現存するに過ぎず,而して其の存せるものも尚製造力を逞うする能わずして[つい]に其の命脈を保つに過ぎざりき.然るに明治二十六年以降二十七八年の戦後経済の膨大に伴ない各工業の資金を得る容易なるを以って諸般の事業一時に勃興し,斯業も亦茲に二たび順境に至るの形勢を呈し,遂に製造者の数大いに増進して会社三十二個人十六計四十八箇所の起業を見るに至り実に創業以来未曾有の盛況を示したり.然れども斯の如き一時起業熱に侵されて勃興したるものは能く永遠に維持すべきものに非ず果して同三十年後半期に移りては其の反響直ちに顕われ,供給は需用に超過して販路は俄然逼塞し,遂に廃業者続出し倒産また此れに次ぐの悲境に陥り,三十四年末に至りては其の事業を継続し以って府下同業組合に其の名籍を列するもの僅に五社と三個人との八個所となるに至れり.是れ蓋みな軍挙暴進の結果たらずんば非ざるなり.左に明治三十四年末に於ける会社の資本金其の他を表示せん.

社名

創立年月

資本金額

払込金額

積立金

払込金積立金合計

大阪窯業株式会社

明治15年1月

120,000円

93,000円

93,000円

102,000円

天王寺煉瓦株式会社

明治30年10月

12,000円

3,833円

3,833円

堺煉化株式会社

明治26年7月

250,000円

70,000円

15,400円

85,400円

岸和田煉瓦株式会社

同20年7月

50,000円

50,000円

5,305円

55,305円

貝塚煉瓦株式会社

明治27年4月

70,000円

70,000円

4,300円

74,300円

日本煉瓦株式会社

明治29年8月

300,000円

75,000円

7,300円

82,300円

河内赤山煉瓦株式会社

明治30年5月

30,000円

14,700円

14,700円

阪堺煉化合資会社

明治19年12月

30,000円

30,000円

3,000円

60,000円

合資会社五成社

明治29年2月

10,300円

10,300円

10,300円

大阪煉瓦合資会社

明治33年12月

30,000円

30,000円

森合名会社

明治31年12月

2,530円

2,530円

904,830円

449,363円

71,305円

520,668円

実に斯業の大部分は本表各会社の占領せる所と云うも不可なきものたるに拘わらず其の資金は百万円弱にして,之れに対する払込及び積立金を合わせて其の半額以上なれども実際の流通額は該半額の四分一に過ぎず其の他は固定資本に化せるものと謂うべく,而して其の四分一の流通資本の運転を三回とするも尚四十万に足らず.此の他個人の資本を合わすとも五十万円に至るは難きが如し.事業の振わざるを以って知るべきなり.

現業者氏名及び製造場表

製造場主名

製造品種

製造場所所在地名

原動力機関数

原動力公称馬力

職工人員男

職工人員女

大阪窯業株式会社

煉瓦

堺市南附洲新田

明治15年1月

1

17

49

16

65

堺煉瓦株式会社

煉瓦

堺市吾妻橋通二丁目

明治26年7月

20

7

27

岸和田煉化株式会社

煉瓦

泉南郡岸和田町

明治27年7月

79

27

106

貝塚煉瓦株式会社

煉瓦

泉南郡貝塚町

明治27年7月

136

26

162

日本煉瓦株式会社

煉瓦

泉北郡舳松村

明治30年6月

15

14

24

丹治利右衛門

煉瓦

同郡舳松村

明治3年5月

20

11

10

北村市松

坩堝煉化

東成郡鯰江村

明治29年5月

11

15

日本煉瓦株式会社分工場

白地煉瓦

泉北郡鳳村

明治30年6月

16

8

11

河内赤山煉瓦株式会社

煉瓦

北河内郡甲可村大字岡山

明治30年10月

10

40

広瀬倉平

坩堝及耐火煉瓦

西区湊屋町

明治21年6月

15

10

13

尾崎清七

煉瓦

西成郡勝間村

明治30年3月

6

5

11

林尚五郎

煉瓦

西成郡津守村

明治34年4月

20

-20

40

津江[草冠+保]

耐火煉瓦

北区安治川通三丁目

明治17年

12

1

13

以上は其の主なる現在工場職工人員及創業年月日等を示せるものにして,此の他なお10数箇所あれども甚盛なりと云うを得ざるのみならず,大体に於いて又機関の設備甚幼稚の範囲を脱せざるを見るべし.而して本表と既に記したる八箇所と其の数に於いて符合せざるは要するに事業甚挙らず或いは他業の兼営たる等によりいまだ組合に同盟するに至らざるに依る.更に最近二十箇年に於ける斯業の消長を示せば左の如し.

産額表

製造戸数

職工人員

一日平均職工費

数量(個)

価格(円)

明治15年

5

87

58

145

230

3,932,795

36,271

明治16年

5

103

47

150

335

3,042,353

22,327

明治17年

6

90

40

130

230

2,082,700

12,842

明治18年

4

209

79

288

255

3,450,000

17,615

明治19年

8

229

60

289

250

6,030,000

33,522

明治20年

8

231

81

312

270

10,032,123

37,345

明治21年

15

428

125

593

270

24,683,818

143,163

明治22年

21

561

132

693

280

37,292,902

201,982

明治23年

15

384

120

504

280

46,636,197

250,211

明治24年

15

385

167

552

285

22,305,643

128,652

明治25年

6

251

95

346

290

15,687,707

100,229

明治26年

10

251

100

351

300

18,086,805

103,825

明治27年

13

305

126

431

280

30,215,766

592,466

明治28年

30

811

126

937

280

93,170,000

633,556

明治29年

42

600

277

877

480

9,785,400

1,315,270

明治30年

48

613

339

652

570

35,500,000

390,500

明治31年

45

225

94

319

400

21,580,000

172,640

明治32年

40

560

207

767

500

36,930,125

281,118

明治33年

20

832

147

480

50,796,365

402,212

明治34年

15

566

107

673

480

62,184,659

482,514

是に[よ]りて之れを観れば十五年より三十三年まで駸々として進歩し,二十五年は前年の暴挙に基づき著しく衰退せるを見る.而して三十三年頃より稍回復の兆を顕せりといえども徒に産額の増加を見るに止まり,供給は依然として需用に超過し事業は反りて不振の範囲を脱せざるが如し.左に二十年以降の工場数等を表示せん.

工場数

職工人員

原動力

機械数

公称馬力

明治20年

7

350

明治21年

9

347

明治22年

13

488

明治23年

15

415

明治24年

14

204

明治25年

7

637

明治26年

10

342

明治27年

13

394

明治28年

11

353

明治29年

13

506

明治30年

18

539

明治31年

15

322

明治32年

11

214

明治33年

4

107

明治34年

5

124

1

17

本表は職工十名以上を使役し且その規模稍整然たる工場にして,其の増減の甚しきは他の工業中恐らく其の比あるを見ず,以って斯業の変遷殆恒なき一端を察知するを得べし.然れども近時漸を逐いて進運に向うの趨勢あるは最近十箇年に於ける産額増加の歩合に徴して知るべく,明治三十四年を九年以前の同二十五年に比するに実に約四倍に達せるを見るべし.即其の表左の如し.

産額増減及び生産力と職工との対照表

産額増減歩合

職工一人に対する生産価格

職工一人に対する賃金

差引残額

明治25年

1.00

289.71

95.7

194.10

明治26年

1.15

292.90

99.0

193.90

明治27年

1.92

1,374.63

92.40

1,282.23

明治28年

5.94

676.15

92.40

583.75

明治29年

6.42

1,499.73

158.40

1,311.53

明治30年

2.26

410.24

188.00

222.40

明治31年

1.38

541.19

132.00

409.19

明治32年

2.35

366.52

165.00

201.52

明治33年

3.24

410.83

158.40

252.43

明治34年

3.97

716.96

158.40

558.56

売買の慣行.売買方法は官民の差別なく主として購買入札せしめ,契約品納付済のうえ代金の払入を受け又は契約数十分の六乃至七以上を納めて半額を受くる等一定せず.又,仲買人と唱え煉瓦販売のみを業とする者との間に於ける売買は代金支払期日を特定して売渡すを通例とせり.

販路.当組合の製品販路は多く関西各地其の工事の起る所に販売す.而して数量価格等は府の内外に分かち之を各別に掲げ難し.

原料の購入.府下泉北,泉南,東成三郡よりするを最とす.

https://bdb.kyudou.org/?p=8801

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