明治13年~14年頃に原口仲太郎の請負で操業。時期的に見て逢坂山隧道その他の建設に供給したものと思われる。雄琴村の522、523、530、547~551番地(字鳴子橋)を借用し植物損耗の手当金を支払った記録が滋賀県蔵公文書にある(明-と-6「鉄道用地買代金請取証」、明-と-12「鉄道建築事件書類編冊」)。該当地番はいまは存在しないようだが、雄琴3丁目・4丁目と衣川1丁目の境の辺りに500番台の地番が残っている。同公文書には工場の波除石垣に関する書類もあり、当時湖岸だった場所に建設されたものらしい。
写真は520-1番地の田。日欧貿易サービス(株)の裏手。ここよりも北に520番台の地番が続く。雄琴3丁目の旧県道と現道に挟まれた辺りに535-1,536番地。