四国
別子銅山製造煉瓦(東延地区地下の排水暗渠に使われているものと同じ煉瓦。東延へ向かう登山道脇で採取)。平に「× ×」と2つの掻き目をつけてあるのが特徴。胎土は石砂の含有量が多く粗雑な印象を受ける。焼きも総じて甘い。
香川県讃岐煉瓦。小足谷集落跡近辺で検出した”キヌサ”字入りの煉瓦の断面。流動する白斑を有するが、その流動が煉瓦角を向いているのが特徴的。箱型に作ったのではなく粘土塊を放り込み隅に押し込むようにして作るとこうなるのかも知れない。
愛媛県三津浜煉瓦。長石・石英成分をほとんど含まず白斑を豊富に含む(写真があまり良くないので参考までに)。
兵庫(瀬戸内)
播州煉瓦合同”ヲ”。粘い土を使った播州では型枠に粘土を投げ込んで製造した。そのため白斑成分はほとんど流動せず塊として入っていることが多い。次の”K2”参照。また基胎土に茶褐色の粘土粒を多く含む。
長手小口の肌が比較的ざらざらとしているのも特徴。堺の煉瓦がサンドペーパー#800程度とすれば播州は#400~320。
製造者不明、播州の”K2”。播煉同様、白斑成分が塊となって入っている。肌:#320程度。焼きが甘いものは基胎土の茶褐色粘土粒が目立つ。
明石。関西煉瓦(frog付)をライナー孔の部分で裁断。孔に向かって流動していることが僅かに含まれた白斑からわかる。胎土は基本的に均質で細かな白色石粒を多く含む。
成山砲台使用煉瓦。真っ黒に焦げた大きな粘土塊を含むことが多い。洲本・由良で製造された煉瓦か。あるいは中京三河の製品である可能性もある。
京都(南部)
桂川橋梁(初代)使用、おそらく葛野郡川島村の浅田政三工場の製品。フレッシュな断面に部分的になめらかな箇所が多く見られるのが特徴。
浅田政三工場と同じ場所にあった川島煉瓦が製品を供給した記録のある老ノ坂隧道の近傍で採取した煉瓦。やはりなめらかな破断面を見せる。
琵琶湖疏水御用品として納入された川島煉瓦製品の断面。なめらかな破断面あり。胎土内部に黒化した部分が離散的に存在するのも特徴的。
琵琶湖疏水工場小判型印断面。琵琶湖疏水製品も内部に黒化が進んでいるものが多い印象。断面エッジもなめらかになりやすく川島煉瓦との共通性を感じる。
京都府宇治市・三室煉瓦跡転石。比較的ノーマルな関西の胎土。
三室煉瓦の焼損煉瓦。変形するほど焦げたものは内部もこれくらい黒化する(所謂「カラス」)。胎土も粗鬆になるようである。
大阪
堺・舳松町。日本煉瓦手成形転石。白斑はみられるがさほど顕著ではない(日本煉瓦全部に共通かどうかは未確認)。長石・石英以外の有色の石粒を多く含む(摩耗が進行)。
堺。大阪城天守角で検出、カナ添字入の堺煉瓦製品の断面。写真上が打刻面。冂型成形が顕著。堺煉瓦によくある赤紫色の発色はこのタイプではなく外周のほうが黒化が進んでいる(焼成最後に還元雰囲気に晒した結果か)。
堺煉瓦・後期型刻印の手成形。堺煉瓦製品は白斑流動が顕著で長石・石英系の白色石粒よりも白斑が目立つ。写真上部が打刻側(即ち表平)。
津守煉瓦(大阪市浪速区)製品の水平スライス。白斑を顕著に含み、その流動から粘土の詰め方を再現することができるほど。
泉南。友ヶ島の海岸に転じていた貝塚煉瓦製品の長手方向断面(右)。白斑をほとんど含まず有色石粒を顕著に含む。左は無刻印手成形煉瓦。
泉南。岸和田煉瓦製品は白斑をほとんど含まないことが多い。写真は琵琶湖疏水夷川発電所前の舗装に使われていたものでおそらく大正期の製品。手成形痕・Y線があり手成形とわかるが胎土は機械で混練している可能性がある。貝塚煉瓦もこれに似る。
岸和田煉瓦製品でも明確な流動白斑を有するものがある。写真は漢数字添印のある岸和田煉瓦製品(手成形)。あるいは分工場の製品かも知れない。
米国式機械成形痕のある岸和田煉瓦刻印煉瓦。平―平方向に粘土を押し出して切断するので平と垂直方向に白斑が流動する。
手成形にしては非常に形の整った角丸異形煉瓦の水平スライス。他の部位には白斑成分が塊になって入っているので混練のみ機械で行ない成形は手で行なったのかも知れない。岸和田・貝塚系に似た構成の胎土。
比較的初期(明治30年代)製造とみられる釘印入りの煉瓦の場合は多量の白斑を含む。福島区海老江転石は白斑が平に露出している。大阪窯業も各地に分工場を持っていたので製造した工場によって胎土が異なる可能性がある。
明治39年竣工の日銀京都支店の外装に使われている化粧煉瓦の風化面。この煉瓦は大阪窯業が供給した記録がある(機械成形)。長石・石英成分が非常に細かいが他の風化面では比較的大きな粒も含まれている。
M9竣工煉瓦橋梁の出胎物。水平スライス。目立つ白斑を含むが必ずしも函型にはなっていない(函として成形していれば縁に近い箇所に細長く引き伸ばされた白斑が層をなすと思われる)。写真右上・左上の角は粘土の流動が角を向く傾向あり。
関西日本海沿岸
京都府舞鶴市。葦谷砲台使用煉瓦。おそらく竹村煉瓦工場丹後分工場(後の神崎煉瓦)の製品、粘土は岡田由里附近で採取したといわれる。石粒・白斑をほとんど含まない均質な胎土が特徴。舞鶴要塞の砲台に使用された煉瓦はすべてこの系統。
兵庫県豊岡市・中江煉瓦工場の製品。機械成形であることもあり均質な胎土が特徴(長石・石英の小さな石粒を多く含む)。また表面の焼き色に特色あり。常滑焼のような鮮やかな赤色の発色を部分的にする。
滋賀・福井
水平スライス。石英or長石とみられる透明~白色石粒を多く含み、暗褐色、茶褐色の摩耗した小石も比較的多い。胎土に白斑。芯に黒化あり(表面には全く見られない)。そつのない焼き上がり。
製造時期不明の手成形煉瓦(水平スライス)。焦げたような粘土塊を含む。長石らしい灰白色の石粒を含む。白斑はほとんどなし。
新道暗渠の杉本煉瓦製造所刻印煉瓦。赤みの強い白斑を有し、径2、3mmの長石系の白色石粒に加え同じくらいの大きさの黒褐色の石粒も同程度含む。西光寺壁のものは黒色粒がさほど目立たないが、製造時期が異なるため原土も若干異なっているのかも知れない。表面が剥離するような風化をしたもの多し(湖東線初代線構造物ではあまり見かけない)。
福井県敦賀市新道野の山中にある(伝)敦賀線工事用煉瓦工場の転石。胎土自体は非常に均質、そこに角張った石英粒を多く含む。他の僅かな石粒もほとんど摩耗していない。現場の地面は純度の高い赤土で、隣の沢には石英を含む砂の堆積がわずかに認められた。この2つを混合して製造したものか。
中京
岐阜県不破郡青墓村矢道(現・大垣市矢道町)。東海道線複線化時や明治末期の大垣~岐阜間改修に採用。比較的均質な胎土で含有石粒もごく小さい。
(推)西尾士族工場の”□+青”+”ビー”断面。多種多様な石粒を多く含み、あまりきれいとはいえない胎土。白斑も多い。
工場跡近傍の転石の断面。上記2つによく似た断面(焼き色、含有石粒、白斑とも)が膳所駅前転石にも見られ、西尾士族工場製品の特徴とみられる。
工場近傍採集品。粗い砂粒を多く含み、若干白斑を含む。該品は焼きが甘いため白斑を区別しにくい。
工場跡近傍転石。平の両面に若干白斑が露出。胎土にはさほど大量には含まれていない。細かな白い石粒(砂粒)を含む。
正体井桁+”十五”+”ビー”印。白斑を含み、長石・石英が目立つ。後年の大野煉瓦の製品は白斑が減り、長石・石英系の白色石粒が顕著に見られ、それが平に多く露出する。
桑名市多度の養老鉄道多度変電所(大正中期)の近傍で検出した大野煉瓦印。白斑よりも長石・石英粒が目立つ。
焼損煉瓦の断面のためあまり参考にはならない。長石・石英系白色石粒を多く含み、平に露出しがち。
(推)四日市煉瓦初期製品。長石・石英が目立つだけでなく有色石粒の多さも特徴。写真煉瓦の焼き色の複雑さは全製品に共通するものではないとみられる。西尾製品にも似るが、製造技術が三河から来ているためである可能性あり(四日市煉瓦初期には三河から指導者が来ていたことが『三重県史』資料編の四日市煉瓦争議の新聞記事中にある)。
製造者不明の”ヘ“刻印煉瓦の断面。類字刻印が碧南市新川町で検出されている。謎だらけの白斑。
勢陽組支社(鈴鹿市岸岡)で検出の勢陽組印断面。茶色の粘土粒多め、白斑も含む。
関東
東京産の煉瓦には白斑も長石系の砂粒も見られない。関東ローム層の土を使用しているため。煉瓦肌はきめ細かく、サンドペーパー#800~1000に相当。
東京煉瓦○T印断面。いかにも関東系らしい均質胎土。
長野県千曲川橋梁の井筒に使用されている煉瓦も関東系の胎土。手に吸い付くような餅肌をしている。
天竜川橋梁・初代線建設時のもの(おそらく中泉工場製)とみられる肉厚煉瓦断面。均質な胎土に白斑成分の粘土が星が散るように含まれている。基胎土は関東系。