膳所監獄 小判型+英/漢数字
滋賀県大津市・同膳所を中心に分布している刻印。小判型の凹み印の底に文字が刻まれる。長い間「カナ/かな+漢数字」だと考えていたが、湖東組の”丁3”印を踏まえたうえで旧東海道筋民家壁のこの印を見ると“3二”らしいことがわかる。また膳所市街転石の一字目も、二画目の角が立っていたり最終画が掠でなく直線的に抜けているなどしており、むしろ”7”と読むべきかも知れない。このパターンのもう一つも”4”と読むほうが良いようだ。”英数字+漢数字”という組み合わせはまことに奇妙だが……。
膳所市街で採取した転石の寸法は224×105×57mmで、これはM5「監獄則」に示された煉瓦素地の寸法「八寸三分×四寸×二寸一分」が三辺とも1割強焼き縮んだ大きさによく一致し、膳所監獄で製造された煉瓦と推定すべきと思われる。膳所には明治42年に中川煉瓦の分工場ができ、大正6年に黒川煉瓦製造所がそれを継承したが翌年には江州煉瓦(株)膳所工場となっている(当時は本社)。中川煉瓦も黒川煉瓦も東京形煉瓦の製造を売りにしていた節があり、該煉瓦の製造者ではないとみられる。なお膳所監獄での煉瓦製造は明治20年11月に常置委員会への諮問により決定し(滋賀県蔵公文書『明治二一年一月庶務課常置委員諮問会日誌編冊』明‐き-104)、明治21年4月から開始(『東雲新聞』M22.9.22)している。