太棒線(播州煉瓦株式会社?)


大正6年5月に創業した播州煉瓦株式会社の所在地・現小野市黍田で複数個を確認。同社は播州鉄道の提唱者の一人である稲岡猪之助らによって設立されたもので、工場も黍田に所在したとされる。正確な工場所在地は不明だが在所内には焼損煉瓦も転じている。

刻印はいずれも長手に対して平行に押され、また裏表に打刻される。棒線刻印の中でも比較的特徴的で、区別して考えるほうがよいようだ。

加古川市八幡町宗佐の三木鉄道の橋梁にも同じ煉瓦が使用されている。ただしこの線(区間)が開業したのは大正5年末のことで、大正6年5月に創業した播州煉瓦株式会社の製品だと看做すことに矛盾してしまう。黍田は大正2年に開業した播州鉄道本線(現JR加古川線)の市場駅がある在所で、同線の建設をする際から小規模な煉瓦工場があり、それを会社化したのがT6.5であった(会社化以前に使用していた刻印か)と考えるべきだろう。

播州鉄道の沿線には播州煉瓦の他にも加古川煉瓦(現加古川市神野町西之山)や旭煉瓦(加古川市八幡町上西条)が創業している。いずれの工場も播州鉄道が延伸工事を行なっていなかった大正6・7年頃に設立されているのが興味深い。おそらく印南郡の煉瓦工場群の成功に倣い、加古郡や印南郡の沿岸部の工業化に煉瓦を供給する目的で、また播州鉄道の貨物輸送能力に期待をかけて設立されたものと思われる。ただしいずれの工場も大正末年頃には事業を停止し解散したようである。

大正8年頃、来住村黍田の市場駅に隣接して日本織布株式会社の工場があった。この工場の工場主も稲岡猪之助である。

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