川島煉瓦 (丸印)
琵琶湖疏水工事事務所の煉瓦工場が稼働し始める前、疏水工事に煉瓦を資していた工場。その名称からおそらく大阪京都間鉄道に煉瓦を供給した浅田政三の工場と関連があるものと思われる(浅田の工場は海草郡川島村;現京都市西京区川島と推定されている)。上掲写真は琵琶湖疏水記念館の展示パネルより同社製品の刻印。「疏水御用品/川島煉瓦所/製造人/井上/井関/明治十八年九月」とある。
第一隧道第一竪坑の周辺ではごく稀に同社の丸型印が検出される。丸縁に沿って「京都疏水御用品川島煉化」とあり、また中央に作業組の識別番号?が刻まれる。大変繊細な印である。
この煉瓦が示すように、当初琵琶湖疏水の工事で使用する煉瓦は外注されていた。そうした製品の質が悪かったり需要を満たすことができなかったりし、また隧道畳築のため大量の煉瓦が必要になることもあって疏水工事事務所工場が建設されることになる(『琵琶湖疏水要誌』)。
なお、下記掲載煉瓦の断面と、浅田工場が供給した煉瓦と考えられる(旧)桂川橋梁橋脚の煉瓦の断面は非常によく似ている。上写真左が川島煉瓦、右が桂川橋梁”D”。どちらの煉瓦にも黒灰色に焼けた土が混じっていて、まるで夾雑石のように見える(桂川橋梁煉瓦は外周にのみこの土を使っている。川島煉瓦は全体に使用)。
柴田四子吉『匠工必携』(明19.6)に堺煉化石と川島煉瓦の煉瓦価格の比較あり。6尺平方の一枚壁462個の仕上げに堺煉化石上等品は8円67銭、川島煉瓦上等品は6円34銭。