大阪窯業 “改”印
大阪窯業煉瓦に押されていることがある添印。意味するところは不明だが、同社が堺工場での製造を始めた明治31年~32年以降の製品に見られるようで---例えば明治30年竣工の由良要塞大川山堡塁には大阪窯業マークだけの煉瓦が見られる一方、明治31年竣工の生石山電燈発電所には「改」入りがある。また明治31年5月に開業したJR桜井線櫟本駅の地下道の煉瓦、同年開業の(現JR片町線)大戸川橋梁橋台にも「改」入りが用いられている---、堺工場に設けた改良ホフマン窯で焼成した煉瓦であることを示す印なのかも知れない(焼成後に押すことはできないので「その窯で焼く予定の煉瓦」に押したと)。無論単純に品質保証の極め印である可能性もある。堺市立博物館『堺−もの・ひと・こと−』p.84
によれば堺の瓦組合ではその製品のブランドを守るために「堺改」という極め印を使用していた(文政4年頃)。
なお、豊中市岡町住宅地でも「改」印入の煉瓦が多数見られ、「(窯業マーク)+ウ+改」の組み合わせで「改」だけが90度回転したものが存在している。印の位置は全く同じであるので、この三者を一体型にした(ただし「改」が反転し得るような)印母が用いられていたこと=個々に打刻したのではないことがわかる。