千曲川橋梁 英数字
初代千曲川橋梁のものと見られる瓦礫から採取。特徴的な書体の英数字印である。北山峰生「煉瓦生産を通してみた日本近代化過程の考古学的研究」等を参照した限り同形刻印の検出事例はない。扇形異形煉瓦に”1”、撥形異形煉瓦に”4”を検出したが、検出数が少なく(大半の煉瓦は無刻印)、これが形状を指示するものなのか職工識別の印なのかは判断しづらいところがある。
遺構周辺に散在する煉瓦は白斑成分をわずかに含むが関西・東海の煉瓦ほどは目立たない。総じて柔らかい質の煉瓦で、ハツリハンマーで叩くとボコボコと欠けていく。また煉瓦のうちにはY線を有するものとそうでないものとがある。最も特徴的なのは「手触り」で、表皮の肌理が細かいためか、触ると実にしっとりとしていて手に吸い付くようである。関西系の煉瓦のようなざらつきはほとんど感じられない。
橋脚井筒遺構には撥形3種、扇形1種、普通煉瓦1種が使用されているようで(採寸し得た扇形異形煉瓦が少ないためあるいは2種以上であったかも知れない)、その積み方も後の規格とは異なっている。即ち内側から撥-撥-扇と積む段と扇-撥-撥の段を交互に繰り返していて、これは当時の9ft円形井筒に近い。M29規格の小楕円形井筒では扇1-撥1-撥2-扇2・撥1-撥1-撥2.を繰り返す(曲率大の箇所に普通煉瓦)。径が違うため使用煉瓦が異なるのは道理だろうが構成からして大きく変わっているのは興味深い。
なお初代の千曲川橋梁は『鉄道線路各種建造物明細録 第2編』ではM21.9.竣工、『各省所管官有財産目録 上巻』ではM20.6.着工M21.3.竣工とされている。桁構成は錬鉄ラチス形桁3@100ft+錬鉄鈑桁9@40ftで、『明細録』には第2、3、4、5橋脚は径12ft円形ウエル、第6、7、8号橋脚は長径12ft短径7ft楕円形ウエル、その他は凡て杭打及コンクリートとある。12ft井筒は100ftトラスを支えるのに用いられることが多かったことから当時の千曲川の低水敷が左岸側に寄ったところにあったことが知れる。それを踏まえると2023年5月時点で川辺に露出している井筒は第6・7号の橋脚井筒であるのだろう。