和泉煉瓦 (”三ツ矢”刻印)

大阪府下で時おり見られる刻印で、大阪窯業製品と共使いになっていることがあるため、明治39年に吸収合併された和泉煉瓦の刻印ではないかとする説がある。この和泉煉瓦は『日本工業要鑑. 明治40年第2版』に諸元掲載がある。

和泉煉瓦株式会社

大阪府泉南郡沼野村

資本金100,000円

創業 明治38年4月

社長 中辰之助 常務取締役 日吉端 取締役 大槻與三郎 白井治平 石井鉄太郎 信貴豊二郎 監査役 片木政次郎 工場長 村瀬弘光

またこの号の巻末広告に和泉煉瓦の広告があり”三ツ矢”を社章として掲げている。該刻印煉瓦も和泉煉瓦の製品とみてよい。

『大阪窯業株式会社五十年史』などでは明治40年3月に大阪窯業岸和田工場になったとされているが、『大阪府下会社組合工場一覧 明治41年』(明治41年末調査データ:原本は大阪府立図書館蔵)には和泉煉瓦株式会社の工場として記載がある。

(独言:社史の記述は和泉煉瓦については適当だったような曖昧な記憶)

いずれにせよ初代の和泉煉瓦は明治40年代初頭には姿を消しているため、三ツ矢刻印は明治38年~40年頃の”指標刻印”として使うことができる。なお大正時代ににも和泉煉瓦株式会社が成立し製品を残しているが初代工場とは無縁とみられる(大正6年~11年。この工場も大阪窯業に合併され姿を消した)。

”三ツ矢”刻印と大阪窯業煉瓦の共使いは洲本アルチザンスクエア舗石などにあり。毛馬桜之宮公園干潟でも検出されている。また岸和田市内の紀州街道沿いには三ツ矢刻印が濃密に分布している。


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