○+カナ 小
径1.5cmほどの丸にカナ一文字の刻印。検出例は少ないが、宇治火薬製造所の建物(当時は木工場、現・宇治駐屯地補給課本部。この建物は後年増築されているが該刻印はオリジナルの建屋の軒下蛇腹にある。大阪砲兵工廠沿革史付図参照)にも見られ、同所が開設された明治28年前後には使われていた刻印とみられる。これとよく似た刻印を湖東線沿線で多数検出するが、これは現大垣市矢道にあった奥田煉瓦工場(M40中央煉瓦製造所)の使用印とみられ、あるいは宇治駐屯地補給部の煉瓦も同工場製であるかも知れない。詳細は”○+かな/カナ”カテゴリーへ。
下図”○+シ”は市古工場が初期に使用した形状指示印で、東海道線の最後に建設された湖東線区間では海三場川暗渠で見られるものが唯一である。ここでいう”○+カナ“(小)よりも一回り小さく、同工場が後年使用した”○+英字”印と同径。”○+カナ”(市古工場識別印)参照。