”ヤマサ”印

使用社不明の刻印。城崎町湯島の荒船浄水場脇転石。明治39年に日露戦争戦勝記念として簡易上水道が建設され、大正9年に拡張して今日に至る。現在は使用されていないが令和2年度選奨土木遺産に認定。

豊岡には明治31年頃創業の但馬煉瓦株式会社があったが永続はしなかった。後に城崎出身の実業家・中江種造の尽力で中江煉瓦工場が建設される。中江煉瓦製の製品には刻印が押されなかったようで、豊岡市街の煉瓦壁、豊岡~城崎間の山陰本線構造物では刻印を見ない。また荒船浄水場脇の瓦礫には釘印のほうを多く見る。

山陽本線千種川橋梁上り線の第五橋脚井筒に使われている撥形異形煉瓦にこの印が検出された。該橋脚はT10.3.25に開業した複線のもので、使用工場もその頃のものとみられる。ここで検出されたことや京阪神地区で全く見られないことを勘案すると工場所在地はもっと西寄りの地域であるのかも知れない。例えば岡山県英田郡楢原村(現・美作市)には大正9年創業の作東窯業(株)があった。また津山市には明治末~大正初年頃に創業したと謳う個人工場・佐久知窯業部がある(S6工場通覧初出)。

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